自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅https://blogmura.com/ranking/in?p_cid=11013598

今という時代は多動力が大切。。。

多動。。というと落ち着きのない子みたいな言われ方をした昭和世代ですが、今の時代(とき)は多動こそが重要な生き残りのスキルかと思います。

先週は思い立って、、というより昨年より心支度をして出雲の参拝ツアーに参加しました。通常であれば、方位的に暗剣殺なことと、今回は一緒にいくはずだった人もキャンセルになってしまったので「私もキャンセルしようかしら。。」となってしまうのですが結論的には行って本当に良かったです。初めから終わりまで出雲の神々を巡る参拝ツアーでしたので出雲大社のみならず様々な神社に参りました。最初から終わりまでご神域にいた上に正式参拝も受けてきましたので方位の影響は今回は考えません。一応、来月の連休に吉方位旅行に行くつもりですけど。。

その出雲ツアーから帰宅したら、地元の転職支援会社より「お会いしたいです」の連絡を頂いたので、早速昨日行ってきました。なかなか私の地元では私のいままでの経歴が生かせる職種はないかと思うのですが、「まずは人と会ってみる」を重ねて行こうと思います。

私と同い年の転職仲間?は応募数だけで100越え、うち書類通過ゼロ(>_<)きびしい~でもそれさえも楽しんで、エントリーしている紹介会社ごとに経歴書をアレンジして、尚且つQRコードで自己PR動画もつくりこんでいます。👏

これに大いに刺激され、いやいやこれはとにかく伏線張り続けるしかないと考えを改めました。

今目指しているのは、正社員の食を探しつつ、独立自営の準備をするというパラレルで今後のキャリアを考えてみたいと思っています。

 

 

現実は自分でつくっているという事実を受け入れられる者は幸いである。。

大変お見苦しい記事を先に掲載しましたが、自分自身への戒め?として消さずにしばらく残しておこうと思います。その時々でどういう心情を感じたのかを記録に残しておくのは悪くはないと思います。

現在、複数の方よりコンサル・セッション・サポートを頂いていますが、やはり「現実は自分が作り出しているのだ」という事実を受け入れる。。理解することが、今の自分には大切なのかなと悟りました。

サポート頂いている方とのZOOMセッションで、「嫌な人、ひどい人とはちょうど歯車のように噛み合っている。自分の中に噛み合う要素がある。ひどい人は何かを教えてくれている。」との言葉を頂き、内心「そうは言ってもな~」と感じていました。毎朝、戦いの場に赴く戦士の心境で、内心パニックで「もう持たない」と鬱になりかけていたのですが、今朝、出社前にファストフード店でコーヒーを飲んで一息ついているときに突如、昔親しんだ聖書の一節(山上の垂訓ですが)が思い浮かばれ「あぁ~そうだよな、自分の強みを最大限に生かそうと思った時に愛の実践が一番いいんだよな」と悟り本日は落ち着いて会社内で過ごせています。

ついつい少年漫画に出てくるヒーローや、”強気を挫き弱気を助けるために社長になった”という任侠の社長さんのような強さに憧れ、自分はどうして。。。と思ってしまうのですが、自分にはそういう資質はありません。

たくさんの男気ある?人物が去っていった現職場でありますが、自分が今いるということは何等かの意味があることと捉え、動けない時は無理に動かず動ける時を待ちたいと思います。

その上で勝負をかけます。

 

 

見よ!諸君。。これが信仰者のなれの果ての姿である。

掲げる標題だけは御立派なわが社でありますが、非常に残念な事にパワハラ三昧で今日も朝から誰かが削られていたようです。まるで奴隷船の如くに思考停止しているからもはや何も感じないのかもしれませんが、ええ加減にせえやと宣いたくなりますわ。

タイマンで「お前クビ!」と言われれば即答で「そうさせて頂きます」です。冗談抜きで。。。

 

このパワハラがまかり通る背景には「お前達は特定宗教の信者達なんだから上位者である俺の言うことに従えと」いうロジックがあります。ワケわかんないです。

 

私はとっくに卒業しているしこの宗教との関わりは基本ないのですが、ここから給料を貰っている以上は信者と見なされます。悔しい(≧口≦)ノです。

俺は社長で偉いんだ!「我を崇めよ」と言わんばかりです。

基本的には真の愛を訴える宗教団体ですが、この姿のどこにそれがあるのでしょうか?

なんというか、新興宗教というものはつくづくするものではなくさせるものなんだと思います。

力に敏感で、力に魅入られたものがその位置につく。のでしょうね。

ここで忘れてはならないのは”復讐するは我にあり”という聖書の言葉です。

復讐は神の仕事なので神に委ねてみたいと思います。もし彼の一生の中で何の報復も受けずに生涯を終えることになったらそれは幸運ではなく不運と私はとらえます。

今生で犯した罪は今生で報いを受けたほうがまだ救いがあります。

人間の魂が永遠であるということに気づけない幼き人類よ。。