自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅https://blogmura.com/ranking/in?p_cid=11013598

やがて来る「君に頼む」にこたえたい。。。

もしも、何の制約条件もなければ、どうしたいのか。どういう世界をつくりたいのか。。仕事という世界で言うと、概ね以下の通りになります。

 

①大手企業の正社員として就業し、大きなプロジェクトで活躍したい。

企画や人事の仕事をしてみたいですね(^^)。どうやら私はメンバーを持つと力を発揮するようでFacebookでは「アサカズさんが上司だったら部下の人は幸せでしょうね。」と言われたり、透視系?の占いでも「あなたの部下は幸せだね」と言われたことがあります。残念ながら部下らしい人間はいないのですが。。。

②肩書を武器に活躍したい。

どうやら私という人間は属性的に、肩書が最も映える属性のようです。人からは「アサカズさんのいう事なら信頼します」と言っていただくことが多いので、後は扱うものが信頼性があれば鬼に金棒なのですが、残念ながら難のある商品を人間力で売りつけるということを数多くこなしてきました。

これが続くと、自己肯定感が間違いなく下がるので、やはり「ウチの会社で扱っているものは確かなものである」というものが欲しいです。

③うまくいくサイクルの中に取り込まれたい。

人間というものはオギャーと地に産み落とされたと同時に、時代や社会や地域に取り込まれるので「人生は全て洗脳」と言ってもいいのかもしれません。

でもどうせ”取り込まれる”ならうまく行くサイクルの中に取り込まれたいと思います。営業で取引先を色々訪問していた時に、「あぁこの会社はいい会社だな」と思う会社は従業員が会社という場に対してエンゲージメント(愛着心・思い入れ)が高い職場です。従業員が自主的にクリンネスに勤める。机の上にはPC以外は置かない。という事が励行されている会社は個人的には愛着が持てます。(あくまで自主的にです。)こういう場の空気が良いところであれば積極的に取り込まれてみたいと思います。

④愛と調和に満ちた社会をつくりたい。

企業の行う生産活動というものは、やはり誰かの犠牲の上に成り立つという部分があるので、うまく行っている人ほど知らず知らずの内に人から恨みを買っている場合が往々にしてあります。だからお金持ちは、周囲への気遣いから解放されるためにお金持ちだけが住めるエリアに引っ越すのではないかと思います。

私もどうして、こうも会社でパワハラを受けるのかと思っていたら、飲み仲間の女性から「それは嫉妬されているんですよ!」と指摘され。そうなのか!?と思いました。だって私みたいな人間に嫉妬してどうするの?と思いませんか?(笑)

まさか自分が人から嫉妬されてると思いませんでした。こんなにうまく行っていないにも関わらず人から嫉妬を受けるとはどういうことか?という感じなのですが、これが人の世というものなのでしょう。

お互いを認め合い、心理的安全性が担保されたアサーティブな思想の土台の元で、まずはチームビルディングをしてみたいという希望があります。

 

主役はある日、突然倒れる。。。。「君に頼む」と言われた時にすぐに答えられる自分でありたいと、いつでも準備しています。。。。

 

 

こんな会社に勤めてみたい(日立製作所)

続いての”こんな会社に勤めてみたい”は日立製作所です。

 

news.tbs.co.jp

全社をあげての”脱ハンコ”が話題になっていますね。5億枚の紙が削減されるとか。。。日本は本当に紙をたくさん使う文化で、国際的にも環境破壊の視点で問題視されてますから、大手企業のこの取り組みは素晴らしいと思います。

 

日立が好きな理由はいくつかありまして。世界ふしぎ発見のCMで流れる「日立の樹」の歌が好きなこと

www.youtube.com

特に初期のヒデ夕樹さん歌唱が良かったです。。。単にヒデ夕樹さんが好きなだけなんですが。。。

そして、あの河合薫さんもコラムでボソっと「日立は良い会社だ。。」と呟いているのを見かけたことがあります。

business.nikkei.com

こういう日立との関りがあったから、辛口の河合氏も一目置いたのでしょうね。

企業理念を具現化できるのは、実際には大企業だけだ。。という話もありますが、社内にこういう取り組みを進める人がいるということは本当に素晴らしい。。。今度生まれ変わったら大企業の正社員になることを固く誓うものであります。。。

 

そして私が日立を押す一番の理由は、これもワークショップでご一緒させて頂いた方々で日立の人が皆グッドパーソンだったからです。本当にそうです。。

もちろん中には、ポンコツな人もいると思いますが、少なくとも私が見た人達は、私の生活圏の中にはいない素晴らしい人達でした。

日立に入社したと言えば、田舎の親も「おおっ」と思いますし、色々な意味でバランスが良いのではないでしょうか。。

 

 

環境は良くも悪くも与えられる。その中で自己が取り組めることに最善を尽くす。

キャリアというと、如何にも本人の努力次第、才覚次第でいかようにも形成できそうな言葉の響きがありますが、そう狙ったようにいかない不確定な要素も実際にはあります。

mainichi.doda.jp

偶然の要素が強いのがそもそもキャリア形成なのだから、いかに偶発性を呼び込む確率を上げるかという考え方が「計画された偶発性」なのかな?と感じます。

わかりやすい例でいえば、人との出会いだと思うのですが、私も過去に気乗りしなかった誘われたイベントで生涯の恩人と言えるような人との出会いがありました。(たまたま隣に座った人だった。ちなみにこのイベントに誘ってくれた人とは今は付き合いありません。)

その意味では人生の伏線はあらゆるところに張り巡らすことが、偶然を呼び込むことにつながると思います。棚からぼた餅も、”棚”を作らないことには落ちてきません。

 

もう少し視座を上げると人生を如何に運んでいくかという話になってくるのですが、人生をうまく運ぶという点で人の出自というものに、私は触れずにはおれません。。。

正直にお話をしますと、自分の出自と自分の先天的な資質の不整合を、子供の頃から漠然と感じていた気がします。「なにか違う。。」「もし自分がこういう家に生まれてきて、こういう環境で育ったならば、、、」なんて事を夢想してました。

偶然にもこの世に送り込まれるのが人の人生ですが、もしもここに計画性が働く余地があったなら、かなり自分の人生は違うものになっていたでしょう。自分が生まれる以前の事はよくわからないので、自分が敢えて今の家や環境を選んできている場合もあるのでなんとも言えませんが、とてもではありませんが親と面と向かって言えた話ではありません。(もちろん、両親にはこの上なく感謝しています。)

話しがどんどん抽象化しそうなので、少し揺り戻すと、イギリスのような階級社会では、人々は自分の出自を最初から受け入れてるようなところがあるようです。

note.com

自分が労働者階級に生まれてきたならば、”労働者階級の人として生きれば良い”という強い価値観に従って生きる。というのは「ある意味、楽」な気がします。

日本は建前上は”階級”というものは存在しませんが、現実にはあります。それを公に認められないところが苦しみを生むのかもしれません。

実際には、結婚をして子供を持って家を持つということは、現代の日本においては、贅沢になりつつある。。というか贅沢になっていると感じます。

それぞれの階級(出自)に応じて分相応な生活を。。。という社会規範?が自然と機能するような社会であれば問題は少ないとは思うのですが、未だに一億総中流の意識を残す社会では、なかなか難しいでしょう。他者との比較の中で、仮に子供に十分な投資ができないことがわかれば、子を持つことに躊躇するというのは自然なことだと思います。ここを躊躇なく踏み切れるのは残念ながら、”若くして授かり婚”の人達で成人式の時に子連れだったりする人達が日本の少子化を食い止めているのが本当のところかもしれません。

だんだん論点がグダグダになってきましたが、環境というのは良くも悪くも与えられるものなので、自力で変えようにも変えることができないという場合が多いと思います。

限られた制約条件の中で、自分が何に取り組んだら一番成果を上げられるのかを常に模索しながら人生史上、最上のモチベーションで日々取り組んでいる気がします。