自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅https://blogmura.com/ranking/in?p_cid=11013598

直視したくはないが、奴隷の日々を再考察してみる。

今だからこそ振り返ってみることが大切と感じ、直視したくはないですが奴隷だった苦しい日々を振り返ってみたいと思います。

25才~28才まで、健康食品と医薬品の販売会社に勤めていました。主な業務は自社で取り扱っている健康食品を大手の卸問屋に出向いて売り込んでくること、担当営業と仲良くなって同行営業をとってくること。取引のあるドラッグストアで宣伝販売を行ったりOEM営業等の知的な?営業もたまに発生していました。

私がこの会社に在籍時に何に一番エネルギーを費やしたかというと「社長のご機嫌取り」です。小さい会社でしたので、カミナリ⚡がすぐに落ちます。ご自分は外に出て何かするということは全くなく一日中、会社にいてパソコンをパチパチしているような人でしたが、かなりの負けず嫌いの人で学歴に恵まれないながらも、中小企業診断士の資格を取り日々勉強を絶やさないような印象でした。その優秀な知見を仕事に活かしてくれれば良いのですが、残念ながらそれはありませんでした。

私もよく言われたのですが、同行営業等で成果が上がらなかった場合に電話で「◯✗△▲※ぎゃならなばぁ!◯✗■△でもう辞めちまえ!」と支離滅裂に怒られました。「いやいやそうではなくて、今回は初見での挨拶なので、これをきっかけに入れてもらうように継続的に営業していきますから。。。」と嗜めるように話しても埒が明かず、周囲も巻き込んで暴れていました。

基本的にいつも怒っているのですが、いつ大噴火するかわからないので不意を突かれたら大変です。一度、油断していた時に突然怒鳴られて、心臓がドキーンとしてびっくりしました。あれは心臓弱い人だったらヤバかったと思います。死なないで良かった。。。(実話です。念のため)

日中の時間帯に営業マンが事務処理的な仕事をしていることが心底気に入らないらしく

「外に出ろ!」と日常的にけしかけます。そうは言っても提案書や見積もりをつくらなければいけない事もあるので、そういう時は仕方なしに近くの喫茶店で仕事をするしかありません。

また、訪問実績がつくれない同僚がいて、このままだと怒られて火だるまになるのは目に見えていたので、「僕の得意先に同行で行くという形をとろう!」と持ちかけて難を逃れさせた事もあります。実際には訪問日と違う日なので、得意先の会社に行かずに”最寄り駅まで行った”という実績をつくって踵を返すという事になります。わざわざ交通費と時間をかけてバカみたいです。

こうなってくると仕事どころではなく、社長対策に占めるウェイトが俄然重くなります。大人しくしてくれればいいのですが、一度うまくいった商品の在庫が薄くなった時に、社長自身が自分で仕入先を探してきて大量発注を決めてしまい、一気に不良在庫を抱えることになりました。そしてそれが売れないとヒステリックに社員を糾弾するのです。

そんな消耗する日々を送る中で、いつものように訪問実績をつくるために、たった一個の商品を届けるために大手の問屋さんに行きました。本当なら発送すれば済む話なのですが、実際に問屋に顔を出して、担当営業に売り込みをするためという目的で行くのです。実際には、売り込みをする為のネタも愛社精神も尽き果てていたので、たった一個の小さい商品を倉庫のオジサンに渡して納品書にハンコを押してもらえれば行ったという事実はつくれるのでこれにて完了。

問屋は不便な立地にあるので、最寄り駅からはタクシ-での往復です。本当にバカみたいです。「俺何やっているんだろう。。。」と心底、落ち込んで考え込んでいた帰り道に何気なくよった本屋で一冊の本を手に取ります。

面接の達人 転職版」

https://www.amazon.co.jp/%E9%9D%A2%E6%8E%A5%E3%81%AE%E9%81%94%E4%BA%BA2018-%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%AB%E7%89%88-MENTATSU-%E4%B8%AD%E8%B0%B7-%E5%BD%B0%E5%AE%8F/dp/4478101418

確か当時手に取った本には27才の転職というような副題がついていた記憶があります。ちょうど同じ年代だったこともあり一気に引き込まれました。

本の巻末には、中谷彰宏氏の博報堂時代の体験が書いてあり、新しく来た上司から「今日からお前は俺の奴隷になれ!」と宣告され、奴隷の奴隷は嫌だから会社を辞めることにしたと記されていました。

自分も奴隷から抜けよう。。自分は人間なんだ!と大きな一歩を踏み出したのですが”奴隷経験”が人間社会で通用するほど甘くないことを後に知ることになります。