自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅https://blogmura.com/ranking/in?p_cid=11013598

ざわざわするような違和感は概ね正しい。

さてリクルートの紹介で入ったその会社ですが、本業は水産加工業で本社のあるその地域ではちょっとは名の通った会社でした。当時40代の社長さんは三代目に当たり、地元では若手の顔役のような感じでした。かなり感覚的な感じの人だなとは思いましたが「あれっ?」と思ったのが支給された私の名刺を見た時です。

新規で健康産業を立ち上げるべく、渡されたその名刺の会社名は「株式会社〇〇研究所」と書かれていました。ちょっと心がざわざわするようなネーミングで、初対面の人にこの名刺を渡すのは正直憚りがあります。

ほどなくして社長自身が船井幸雄氏の信奉者であることがわかり、醸し出す飛んでいる感覚はその影響もあったと思います。しかし同じ物事を信奉していても、解釈によって現れ方は違うということはままあるので、これも”独自固有の長所”なのでしょう。

更にはネットワークビジネスに当時傾倒していて、自分でネットワークビジネスを立ち上げたいというのが真意だとわかりました。地元に交友関係のあるご婦人達を中心に口コミで流行らせたかったようです。幸いにも私の以前の関係先等から商材はかき集めてこれたのですが、所詮は素人が立ち上げられるようなビジネスではないので、説明会だけ開いて終わってしまった感じです。なんというかネットワークビジネスに傾倒する人の特徴だと思うのですが、”純粋で幼い””お金儲けが心底好き”な独自固有の特徴を感じました。

その他にも「これは?!・・・」と思うような去就を伴う人事が多くあり、本当に社長の気分で決まるんだというのが良くわかりました。

一度、ショッピングセンター内の新規出店で部外者ではありますが、同じ社員なのでお魚屋さんになりきって約1週間ほど手伝いに行ったことがあります。新規立ち上げなので朝早くて夜も遅くなりがちだったのですが、必ず仕事が終わった後に飲み会があるのです。これが実に長くダラダラダラダラ続きます。みんな疲れているので早く帰りたいのですが、そういう訳には行きません。明日の仕事に差し支えないためには、タイミングを見計らって「すみませんお先に失礼させて頂きます。」とうまく社長に挨拶をして切り抜ける必要があります。

そして、ようやく開放されても、そのままでは鬱憤がたまりまくるので、皆さんその後スナックに行って憂さ晴らしをするのです。とてもではないが付き合い切れません。

私のような遠征組は、店長(社員)が一人で住んでいる社宅マンションに押し込められました。そしてこの店長さんが申し訳ないんですけど仕事が出来ない人で、皆からやり玉にあげられて(もちろん本人だけの責任ではなのですが)一度、寝ている時に悶絶するように布団をバシバシ握りこぶしでたたきつけていたのを見たことがあります。

嗚咽していたのだと思います。本当に気の毒でした。。。。と同時に追い込まれた他に生きるすべがないサラリーマンの悲哀を我が事として感じた瞬間でもありました。

そもそもこの手の業種に勤めている人達は、元々体格が良くて体力が有り余っているような人が多く、海外に赴任していた人がツワモノで48時間連続で仕事していた時があるとサラッと言っていました。(極真の有段者でした。)

こんな人達とまともに仕事ペースが合うはずもなく、終盤でダウンしてしまい、医者に連れて行かれ点滴を打ちました。ひどい目に合いました。

それはさておき、これだけ社長に物言えぬ雰囲気が蔓延している会社でいくら社長直轄のプロジェクトとは言え、新規性のある事を立ち上げることが甚だ難しく一年を持たずににジエンドとなりました。多分、利害関係が伴わない友人関係等であれば楽しい人なのだと思います。また”力”を持っている人なので会社は潰しても、ご自分は生き残るでしょう。(調べたら5年くらい前に倒産していました)

わずか一年程度でしたが、あの厳しい不況下で糊口をしのぐ事ができたことと、取扱商材でお世話になった経営コンサルタントの先生と生涯を通じた付き合いになった事が大きな収穫となった期間でした。