過去記事でも触れましたが、とある団体の構成員(いわゆる新興宗教の信者)だったこともあり、なかなか一般の会社の職場でシンクロできないという悩みがあり、これが社会復帰を妨げている大きな要因でした。
これは大なり小なり多くの新興宗教で見られる現象だと思いますが、所謂縛りがキツイ宗教だと、物理的な場から出た後にも、縛りに苛まされるという現象が起こります。
例えるならば、旧日本軍の兵士が南方で捕虜として収容された時に、「行きて虜囚の辱めを受けるべからず」という戦陣訓が大いに兵士達を苦しめ、自殺者が相次いだという事例と非常に似ています。気の利いた連合軍側の上官が「君たちは国のために一生懸命戦ったのだから、これからは自分の事を大事にしてくれ」と言っても、理解ができなかったようです(恐ろしい)。これは本当にその通りで、私が健康ランドで寅さん宣伝販売員をしていたときも、あるご高齢の方が戦争体験をお話されている時に「捕虜にはならないんですか?」と聞いたら”ニヤッ”と不敵な笑いを浮かべ「捕虜になんかは死んでもならない」と喝破されていました。
話がそれました。。。。。
そもそも宗教といっても、同じ事を信じていても人によって解釈が違っていたり、国や土地柄によってかなり別物になってしまうものですが、日本人の場合には今も尚、カルト的な方向にハマると戦陣訓のような効力が発揮されると実感しています。
特に男性であれば、他愛もないエロ話や酒の席というものは日常的に付随してくるものですが”これができない”。。何しろ”性”に対する縛りがあるので。。逆に支配する側からするとここさえ縛れば容易に組織をコントロールできるので絶対に押さえておきたいところです。所謂”宦官”ですね。男性を去勢することにより刃向かえなくするわけです。詳細は避けますが、厳格な聖職者のような縛りを受けたまま日常生活を送るのですから、当然保護された環境でないとやっていけません。
一旦、この洗脳を受けると社会でやっていくのがかなり難しく、長期受刑者が出所しても娑婆になじめないがごとくに、また舞い戻ってきたりします。
この社会とシンクロできないというのが、多くの信徒が抱える悩みのはずですが、皆それに触れることは表だってはありませんでした。
この心理的ブロックを抱えたまま社会に適合しようとすると自ずと選択できる職種は限らてきます。私がやっていたコミッションセールスの仕事は、基本的に個人プレイなのでアジャストしやすいのですが、問題は普通の会社員のようにチームで動く仕事です。とにかくどうコミュニケーションをとっていいかわからないわけです。今から考えると滑稽そのものですが、当時は非常なる心理的葛藤に日々向き合っていました。
私がどうやってこの心理的ブロックが外れるに至ったかはまた後ほど。。。