記事の冒頭の”「ルサンチマン」に囚われやすい国民性”に、おっ!我が意を得たり!と思いました。シェアしたく下記ご一読ください。
でもルサンチマンって何?という素朴な疑問がありますので、Wikipediaで調べてみました。
”ルサンチマン(仏: ressentiment)は、主に弱者が強者に対して、「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことをいう。「ル」をフランス語の定冠詞 le と誤解して「ル・サンチマン」と表記する者がいるが、誤りである(le sentimentでは単なる「感情」の意味になる)。
デンマークの思想家セーレン・キェルケゴールが想定した哲学上の概念である。フリードリヒ・ニーチェの『道徳の系譜』(1887年)でこの言葉が使用(再定義)され、マックス・シェーラーの『道徳の構造におけるルサンチマン』(1912年)で再度とり上げられて、一般的に使われるようになった。”
一般的に使われているかどうかはさておき、この記事中の「高みにある人々を貶めることで平等性を確保せよ」と言っているわけで、ルサンチマンに囚われた人の典型的な思考パラダイムというくだりは我々の日常でよく目にするという人も多いのではないでしょうか?
私の体験でも”本社は儲かっているんだから!”と何度か訳のわからないおしかりを受けた事もあります。本社が儲かっていても従業員の給与に反映されていなかったり、やりたい事ができなかったりグレーな運営をみつつもスルーしないといけなくて、良心をドブに捨てるのと引き換えの給料か~と我が身を嘆いたりと色々あるにに、一方的な嫉妬心をぶつけられても違和感しか感じなかったものです。本社の人間の給料を下げる事に腐心するよりもイノベーションをどう起こすかを考えるべきです。
以前、あまり土地柄の良くないところにある、県営団地に住んでいた時があるのですが、自治会費の決算報告会の時になると、今まで見たこともないお年を召した住民の方々が前列に座っていました。赤い鉢巻をしていたので「あっその筋の人ね」と思いましたが、若い頃にならしたアジ演説は健在で、「そんなとこ攻めてもしょうがないだろうに。。」という部分を鬼の首を取ったようにあげつらっていました。彼らもルサンチマンに囚われた人々なのでしょう。
まさに悪しき平等主義・同調志向性・村八分・出る杭は打たれる・とりあえず就活は黒のスーツ。。これではイノベーションは阻害されてしかるべきでしょう。。。。。
宋文洲さんが、「日本のエリートは起業をしない。。だから日本では起業のチャンスがあると思った」と言われていたと思いますが、確かに起業は頭の良い人がやることではないという集合意識が日本では未だ根強い感が否めません。
退職者がより幸せになることはあってはならないことだ。。組織がルサンチマンに侵されないために。。。というのは宗教団体を脱会した信者が幸せになることは許されない。。と似ています。
でも、私は幸せな人間になりたいと思っています。