自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅https://blogmura.com/ranking/in?p_cid=11013598

学力コンプレックスについて。。。。

私は高校2年生の時に、今でいう”パニック障害”になったり色々とうまく人生を運べない出来事があって学校も休みがちになり、完全にドロップアウトしてしまいました。それまでは国立大学を目指して勉強をがんばっていたのですが、どうにもそのがんばりが尖り過ぎていて自分を痛めつけていたと今は感じています。また高校の先生方の人を教え導く教師としての姿勢を全く感じず幻滅してしまったことも、勉強に対する意欲を失った事に大きく影響しています。

私は自分の資質的に「尊敬する人のために頑張りたい」という近衛兵や執事のような気質があるのですが、権威に対して無条件に従う事。平たく言えばバカ殿に使える”爺”のようなことは本当に苦手なのです。

人生において、少しでも向学心のある人が高校生時代に十分に勉強できなかった。ドロップアウトしてしまったというのは、後々尾を引くことになり、大学入学時に奮起して頑張れば良かったのですが、入学早々に新興宗教に傾倒したこともあり、大変勉強がおろそかになりました。今考えれば言い訳かもしれませんが、その当時は視野狭窄が過ぎて教義の勉強ばかりしてました。

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で大学の4年間を、完全なバカ。。。「完バカ」状態のまま社会に出ることになりました。空手バカであれば己の片方の眉をそり落として「馬鹿よ!」と高笑いすればよいのですが、

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空手バカ

あいにく、只のバカは使い物にならないわけですから、本当にどこへ言ってもピンボールのようにつまはじきにされた苦い体験があります。よくぞ自尊心を保っていたなと思いますが、そもそもそんなものが無かった気がします。やはり新興宗教は若者から全うな自尊心を奪い思考停止の操作しやすい人間をつくる術に長けているのでしょうね。

すっかり学習欲が薄らいだ惰性の日々を過ごしていたのですが、40代半ばくらいから徐々に本を読むようになり50歳を過ぎた今が一番、人生史上で学習欲が高い状態です。

うっすらと種火のように残っていた「自分は勉強ができるはずだ」という自己確信と、あまりにも現実を生きることが困難で、「自分の人生を変えるためには新しい視座に立たねば解決できない。そのためには学びが必要だ」と腹落ちしたことが大きいです。

求人案件などを見ると、一番ネックだなと感じるのが「英語」です。まぁ仕事はさておき、このまま英語で外国人と会話を楽しめず、日本語だけしか操れずに人生を終えるのもどうか?と思うので自己満足だと思いますが、英会話を継続して学びたいと思います。

いつの間にか、学力コンプレックスが学ぶ原動力になっていることに気づいたこの頃です。