今から15年以上前、日本におけるインターネットのブロードバンド 黎明期に非常に社会的インパクトを与えた”Y〇〇〇〇!BBの拡販に心ならずも携わっていた時期があります。甘露の慈雨のごとき恵みを与えてくれたお仕事ではありましたが、それとは引き換えにあらゆる不品行な行いを目の当たりにしました。ソフ〇バ〇ク本社もこういう事態を看過していたわけではないのですが、とにかくテンポの速さが身上の会社だけあってあらゆる事が”アンコントローラブル”だったと思います。
同じ販売スタッフ同士で「”報道特集”で取り上げてくれないかな?」なんて揶揄し合っていましたね。
販売の現場で幅を利かせているのは、そろいもそろって人相の悪い外部委託の連中で「この品性のかけらもない連中に指図されてやるのか」と暗澹たる気持ちになったものです。
仕事の中身自体は嫌ではなかったのですが、とにかく関わる人々の品性の無さ”えげつなさ”に辟易としていました。
かようなことから、仕事は「何をやるか」よりも「誰とやるか」の方がはるかに重要であると思います。
仲の良い友達同士や愛し合う恋人同士であれば、どこへ行っても楽しいし、何をやっても楽しいのだと思います。逆に嫌いな人同士であればハワイ旅行も苦痛で仕方ありません。同じ時間を過ごす場合には、絶対に自分と相性の良い人や自分が尊敬できる人、信頼できる人と共に過ごしたいと思うのは人の常でしょう。
その「誰と」の部分をどうやって選択するかが大切です。
キャリアの岐路に立っている。。というよりも崖っぷちまで追い詰められている自身にとってこの「誰と」の部分を選択できるのかどうか。。。
正直、転職というアクションから自分が望むような”層”が多い職場環境に転身できるかどうかは確率的にはかなり薄いと思われます。
ではどこで”よき人との出会い”の確立を上げていくのか。。。というと自分が取り組みたいテーマや関心のある物事にちなんだイベントや勉強会に出かけて行って相まみえる事でしょう。
ここ数年ずっとそういうアクションをしてきましたが、薄い縁が広がりところどころで濃いポイントが出来て随分と人生が豊かなものになってきたと思います。まさしく、「ライフシフト」で提唱されているような、人生100年時代を豊かに生きるための、SNS上での広くゆるやかな繫がりと、自己再生可能なコミュニティを築きつつあります。
リアルで良い邂逅を得るためにも「読書」というものは不可欠で、私がわざわざ長距離通勤をしてまで都内の会社に通っているのは、”都内の図書館を利用するため”と言っても過言ではありません。
私は実は読書に目覚めたのがつい最近で、日本の文学者の代表的な作品もろくすっぽ読んでいない人間なのですが、本当にリベラルアーツの力が”今ここで必要”と感じていますので、自分がコントロール可能な積み重ねを続けていきたいと思います。
最近は、古事記から古典の哲学書などにも関心が出てきて「とりあえず借りてみる」という事をしています。今は電子管理のために、本の裏表紙に貸し出しカードがなくて風情に欠けるのですが、手に取った本から「こういう事を学んでいる良き人がいる」という微かな連帯感を感じています。