自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅https://blogmura.com/ranking/in?p_cid=11013598

人は皆よりどころを求めている。。

子供の頃よく親と一緒に見ていた時代劇では、毎回毎回、悪のお代官様が暗躍し、手下の武士は、気に入らない町民を”切り捨て御免”をしてもまかり通るような危ない世の中を描いていましたが実際はかなり違うところがあるようです。

時代劇でも、馴染みの蕎麦屋で岡っ引きと同心の旦那と店の女将さんが、なかなか解決しない事件に関してあーだーこーだと実に自然に話をしていますが、おそらく実際の江戸の町でも、似たような光景があったのではと思います。身分は違えども一つ処で相和する文化というのでしょうか。。。これが西洋の階級社会では完全に”クラス”が違う場合には同じ店で飲食をするというのはまずあり得ないことでしょう。。。経済評論家の山崎元さんがイギリス赴任中に、職場でサッカーの話題を出したら「我々もサッカーに関しては興味はあるけどウチの職場では控えたほうが良いよ」とコソッとアドバイスされたそうです。なんというかサッカーは中産階級以下の人達が興ずるスポーツという事なんでしょうね((((;゚Д゚))))

まぁ実際に江戸の世に生まれて済んだわけではないので、体感覚はないのですが、その時代においては世界的に見て稀なほどに治世の良い平和な都市文化があったのではないかと思われます。

そして時代劇を見る限りでは「お天道様が見ているんでさぁ」という感覚が庶民にこれでもかというほど根付いてまして、実際の当時の人々も神仏を敬い、目に見えない存在に対して畏敬の念をもって暮らしていたのでしょう。

生活と人々の信仰が良い感じでリンクしていたと思うのですが、これが明治以降どんどんと失われ、敗戦を機に日本人が精神的拠り所としたのが、「会社教」であるという論説を読んで”なるほど!”と思いました。

「令和」日本は、不幸の元凶である「会社教」を捨てよ!と題した北野幸伯(きたの・よしのり)氏の記事をたまたま手元にあったRenaissance(ルネサンス)の書中から目についたのですが、

開国時の動乱、そして終戦と日本人にはそれまで精神的な拠り所としていたものを根底から覆されるような変化を乗り越え、戦後70年以上、日本人の精神的な拠り所は終身雇用制が担保され右肩上がりの保証が約束された”会社教”であるという主張にはポンと膝を叩く思いであります。

つまり会社=信仰の対象なのです。。。

私も色々な会社を渡り歩いてきましたが、本当に会社という場は独特の宗教性を持っているなと常に感じます。ましてや為政者が新興宗教に傾倒していたりすると計り知れない恐ろしさを内包していたりします。

www.asahi.com

「絶対に潰す」なんて本来の趣旨を考えたらあり得ない発想ですが、いかれた狂信者・教条主義者は平気でこういうことをするのでしょう。。。

まぁこういう事例を見ると社内目安箱のようなものを信じて投書すると「トラップに引っかかってアウトだよ」という事なんでしょうね。

件の北野幸伯氏はポスト会社教? 日本再生のための中心的価値として「家族大切主義」を掲げていますが、これには私もいたく同意するものであります。

2つの現世利益(終身雇用・年功序列)を信者に約束できなくなった会社教は死にました。。それでも多くの日本人が朝から晩まで働き続けているのは、おそろべき慣性の力が今も尚働いているのでしょう。。。。それを支えるのは拠り所を必要とする多くの人々の集合意識なのだなと感じているこの頃です。