自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅https://blogmura.com/ranking/in?p_cid=11013598

会社教の時代を越えて。。

私は若い頃に、家族や血縁を大事にする東アジア地域の人々に尊敬の念を抱いていた時期があります。折しもバブル絶頂の頃の中身の無い世相を若いながらに憂いていたので、長渕剛ではありませんが「世の中どうなっちまんだ。。海部さんよ!」という感覚はすごいありました。

その”血縁を大事にする国の人は素晴らしい””日本人が失ったものがここにはある”という感覚に疑問の一石を投じたのは「拳児」という漫画です。主人公の 拳児が祖父の安否を尋ねるべく単身中国に渡って冒険活劇を繰り広げるのですが、その過程で

拳児(1) (少年サンデーコミックス)
 

 とある要人との初見の場で、水が注がれたコップに指をつけ、テーブルの上に点々と雫を置く”符丁”を示します。それを見てかの要人が「これで君が身内だとわかった」と声を発し拳児を迎え入れます。この場面から感じ取れることは多くあり身内や血縁関係を大事にする社会というのは、それ以外の者は信じられない相互不信社会の中で生きていることの証明”なのではないかと思うのです。

相互不信社会とは基本自分以外の者は信じられない世界です。日本では当たり前のように受けられる行政サービスも、運が悪く窓口の人が機嫌が悪いと「また来てください」と言われたり、賄賂を要求されたり、警察が信用できなかったり、電車が無事に目的地まで定刻通りにつくのか怪しかったり、信号機を信用したら事故にあってしまうような社会。。。

そのような社会で安心感を得るためには、家族や血縁を大事にする以外にないでしょう。。血縁を拠り所とするのは人間の最も原初的なコミュニティの在り方だと感じます。

日本では戦前の長男が家督を継ぐという家制度が改正され、人々が重々しい家から解放されそれに成り代わって人々の拠り所となったのが「会社」と言えるでしょう。

一度就職さえすれば終身雇用と手厚い社会保障が受けられる。。同時に会社への帰依が要求されるので、首輪たるネクタイを締め朝から晩まで滅私奉公。それでも年功序列で昇給したしボーナスも出た。。「会社」は「家」に成り代わるコミュニティであり信頼の依り代だったのです。

令和の今の時代は何か? 「会社」の在り方が大きく揺らぐ中、旧態依然の制度を維持していこうと思うと、なかなか厳しそうなのは確かである。変化・変容を求められている。。

ポスト会社教の最適解は何かを皆が手探りで探している中、先に紹介した北野幸伯氏が提唱するように家族大切主義に回帰していくのであろうか?

 

戦前のように「家業」を持っていたケースが多い場合はわかるのです。また現在でも農家で田植え時期には家族皆で手伝うみたいな場合もわかるのですが、”業”という依り代がない家はちと厳しいかな?という気がします。

 

ポスト会社教は何か?をじっくり考察してみたいと思います。