自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅https://blogmura.com/ranking/in?p_cid=11013598

定めとあれば心を決める

進路のような何か重要な決定をする時には「素直さ」が大切だと感じます。(進路に限らず物事を決めるときには素直さが大切)私がもしもドラえもんの世界のように(もしドラ?)子供の頃に戻れたら、周囲の声に幻惑されずにクリエーターの道を歩むように強く後押しすると思います。

人間は自分の資質に合ったことをしなければ、自分の強みを生かすことができません。自分の強みとは存在価値や存在目的と言えるものです。存在する人間はすべて唯一無二です。存在することに意味があると考えるならば、自らの天分を発揮することなく生涯を終えることは本人にとっても無念だろうし社会全体にとっても損失です。

私は現在の規格化された人間を育みやすい学校の教育環境に非常に問題があると感じています。社会に出るまでに問題意識を持たないと、コモディティ化された人材となり、社会から受け取るメッセージは「あなたの代わりはいくらでもいるから」という代替可能性ばかりです。

もっとも深く自己を探求しすぎて、学生運動?や新興宗教?に傾倒するのも、激しく道を誤るので、若い時に自分を導いてくれる導師・メンターとの出会いは非常に大切です。

しかしながら人との出会いというのは多分に運に左右されます。自分はこの部分で残念ながら恵まれませんでした。特に中学・高校の自分は文字通り反面教師な人を多く見かけました。自分の心的姿勢に問題があったことも事実ですが10代の人間に人格を求めるのは酷というものです。

私が10代の頃は親との相克は非常に激しいものがあり、全く家に居場所がありませんでした。願うことは「早く家を出たい」。。この一点のみ。

まぁそんな青年期の入り口にZガンダムなんかを見たものですから”カミーユ”の肉親の縁の薄さに思わず自らを重ね合わせてしまったものです。

f:id:asakazuya:20210617151106j:plain

カミーユ・ビダン

観相学的にも私の眉は薄く肉親の縁の薄さを表しているようなので、外に出かける時はいつも眉描いています(^^))

18歳の時に大学が決まって家を出ることが決まったときは心底安堵しましたね。

現在は両親と同居で大変仲良く過ごしていますが、人がこれから世に出ていかんとする人格の形成期にはどうしてもメンター的存在を特に若者は必要とします。

そのような事を鑑みた時に、私の役割として”若者”の導き手としての働き場があるような予感がしないでもないです。

 

世の中で自分の居場所を得るということは、なかなかに骨が折れる事ですが、アラフィフの自分がコモディティ商品として市場に殴りこみをかけたところで返ってくる反応はリフォーム会社の営業か、シロアリ駆除の営業か、ソーラーパネルの営業か、良くて生命保険の営業か、就職活動に疲れたころにやってくるネットワークビジネスのお誘いかという世界です。

 

全ての体験を統合し唯一無二性を持って発信(発振)する先に活路を見出す。心を決める

f:id:asakazuya:20210617153155j:plain

定めとあれば心を決める。

 

と握りこぶしを突き上げたいこの頃です。