先月末に、都内でなかなかのセレブが集う異業種交流会に気おくれしながらも参加して参りました。そこで面白い人物に出会いキャリアに関して、改めて考えを深めるきっかけになりました。
お話させていただいた方は、教育事業を中心として多方面にご活躍をしている方で、職業紹介事業もやっていらして「静岡だったらアサカズさんにピッタリの案件があるのですが。。」とお互いにちょっと残念な出だしから話がスタートしました。
転職市場に攻め込もうとしている身からすると、どうしても”スキル”や”経歴”の手持ちの無さに自信を無くしてしまうのですが、彼曰く「とにかく人柄です!」と強く訴えていました。
今までそこまで”人柄”を前面に出してくる職業紹介アドバイザーはいなかったので、大変めずらしいものを見る思いと、長年のもやもやが晴れるような感覚を覚えました。
中高年に求めらられるのは、まさに「お人柄」なのかもしれません。。。
逆に言うと、世の中想像以上に”ポンコツ”が多いのかもしれないなと感じるものはあります。いやきっと多いのでしょう。。
そうでなければ、日々の新聞記事やニュースをにぎわす不祥事の数々が出てこようはずもありません。
私も、派遣で就業していた時に大手企業で働いている人を色々見てきましたが、どこにもポンコツはいました。。これが人の世の現実です。
そして彼との会話の中で「属する」ことの価値を再認識させられました。どんな会話をしたのかは忘れてしまったのですが、組織内で生きるものにとって「所属する」だけで相当高度なパフォーマンスを発揮しているのではないかと考えさせられたのです。
時ではないと感じたならば、全力で踏みとどまる。。しがみつくのも処世術として大ありです。
実に不思議な話なのですが、例えば転職の際の面接などでは「何をしてきたか仕事の中身が聞かれる」のに、日常生活では「どこに就業しているのか。。ひいてはどこに属しているのか?」ばかりが問われるとは思いませんか?
今時の大手企業はだいぶなくなりつつあるとは思いますが、地方のみんなの憧れ「公務員」は閑職や窓際族の仕事は間違いなくありそうです。
やっている内容は実にしょうもなくても「属している」ことの社会的信頼は絶大なものがあります。ここが重要です。
もしも、この記事を読んでいる高校生がいたら(いるわけないと思いますが)もしも家庭が経済的に恵まれず、進路が限定されるようであれば。。是非悲観的にならず、やれることは何かを考えて欲しい。。
地元の友人関係に恵まれ、家族仲も悪くないようであれば、是非、結婚して独立するまでは実家暮らしをおすすめする。。家賃を払っていてはお金が貯まらないのです。。
できれば工業高校で地元の大手企業に高卒で入れるものなら入ってしまった方が良いが公務員も考えて欲しい(昔と違って高卒で試験にパスするのは難しそうだが)
仕事内容は、つまらなくても続けられるのであれば”御の字”です。きちんと余暇が保証される就業環境が前提ですが、余った時間に全力で自己投資するのです。
やがて、そこから道が開けるかもしれないし、お金が貯まったら”学びなおし”で働きながら学校に通う道を探ったら良いと思います。
要するにまず”身分を確保する”ということが人生戦略上のはじめの一歩なわけです。
多くの大人たちは、本能的に目の前の人物の”出自”をかぎ分けている。。能力がありながら機会に恵まれない人物なのか。。親の七光りや本質的には先祖の功労で、能力以上の機会を与えられている人物なのか。。残念ながら後者のお近づきになりたいというのが人間の性というもの。。
例え正社員という身分を得るのに多大な犠牲を払っていたとしても、「正社員」の威光?!によって、中身である私を値踏みされずに済むのです。(むしろ中身を見て欲しいのですが)
そういった意味では、「正社員」という普通であるはずの身分を、我々は労働という対価のみならず、不条理という対価をも支払って買っていると言えましょう。。
しかしながら、すべてをわかった上で、捨てるべきときには捨てるという決断も人生には必要と感じているアラフィフの夏です。。。