自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅https://blogmura.com/ranking/in?p_cid=11013598

また今年も生き残れそうです。。

再就職を果たして一年が経ちました。この間色々なことがあって現在も色々なことは降り積もっていきますが、能登半島沖地震で始まった本年の象意を感がると「生きて現世に踏みとどまれれば吉」と心得て、唯々命を繋いだことを喜びたいと思います。

資本主義社会の中に産み落とされた我々にとって「お金」は絶対に必要です。そのお金を得るための手段は現代では色々あると思いますが、もっともスタンダードな手法が「労働力」を提供して「雇用」されるということでしょう。。

起業してお金を得るということも、今日では珍しくはないですが、やはり「起業」は一般的ではありません。私も自分の見栄えのしない経歴書を眺めると「起業」しかないと思い詰めた時期が長かったのですが、自分にはできませんでした。

精神的な監獄のような就業環境下で、日々悶絶しつつ次への機会を伺ってはいたものの、ついに再就職先が決まらずタイムアップとなり、再三のチャレンジにも関わらず難攻不落の要塞のごとくに再就職の扉は開かれませんでした。

この間どれだけ病んだかはわかりません。無職期間は本当に病みます。眠れそうもない夜にはスーパー銭湯に良く行っていました。車を走らせながら「炎のさだめ」をよく聞いていましたね。

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タイムアップ後に容易に開かれたのは介護職の道で「ここから人生を立て直して行きたい」という意気込みはあったものの、実際の介護の現場は想像の斜め上を行く過酷さでした。後で新卒で入ってきた福祉系短大卒の同僚の子に聞いてみたのですが、ハローワークの初任者研修上がりで特養老人ホームに入る人なんて聞いたことないですよ!」と何度も言われました。

その子からは何度も「asakazuさんすごいですね!」と言われたのですが、毎日失敗ばかりの私の何が凄いのかよくわかりませんでした。。

確かに「特養は辞めた方が良い」とは経験者からアドバイスもらっていたのですが、施設長と副施設長のお人柄に惹かれて「ここで働かせてください」と即決してしまったのです。今から考えると”無職期間の病み”が判断を狂わせていたのかもしれません。

その時は就業場所も家から近いし、給料の足らない部分はダブルワークで頑張ろうなんてまともに考えていたので頭がバグっていたとしか思えません。。。

自分が特養での仕事を継続できなかった理由の大きな要因は二つあって「体力不足」と「収入不足」です。特に体の疲労が限界を超えすぎていて、最後は判断力の低下が見られミスが頻発する事態になりました。

こうも失敗が続くとユニットのリーダーとの関係も悪くなり「さぁ~困った」という最中に、たまたまお世話になった事がある勉強会の主催の方からの紹介で、就職することとなったのです。

介護の仕事の過酷さは、自分には継続不可能なものでした。今の仕事も過酷ではあるのですが、それでも年末年始やお盆の時期にはお休み頂けますし、何より土日は休めます。夜勤もありません。体力的には継続可能なレベルです。

問題は長距離通勤で時間が削られることですが、これは想定していたこと。。。以前も都内までの長期距離通勤を何年も続けていたのですが、労働の強度自体はかなり緩かったので(正直やることがない日もあった)通勤電車内で読書に耽る余裕がありました。

しかし今は通勤電車内ではひたすら寝ています。何故か?

都内を一日中運転したり、ある種の覚悟を胸に首都高を乗り回さなければいけないので出撃前のパイロットのようなスタンバイ状態のために睡眠不足は致命傷になる事があるからです。

なかなかに厳しい日々の生活でありますが、なんとか生きながらえている。。収入面では無職期間や介護職の時の定収入が響いて、なかなかリカバリーはできていませんが、正直、オーバー55で未経験での再就職での給料としては御の字だと思っています。

しばらくは厳しい日々が続くと思いますが、無事に年が越せれば御の字と思い、何件か入っている忘年会を楽しみに頑張りたいと思うこの頃です。