自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅

属人化の仕事の裏には、人は生存のために最適化するという心理がある。

心理的安全性が、担保されない環境においては「仕事の属人化」はデフォルトです。この仕事は”あの人”に聞かないとわからない”という状況を敢て作り出すのです。

実際に、最近我が身を置いている会社の社長に気分よく酒を飲んでもらう場に同席したのですが、実際に私をクビにしようとしたらしいのですが周囲からの助言もあって思い留まったようなことを酔いに任せてしゃべってくれました。

(まぁこの人特有の諧謔(かいぎゃく)的な物言いなんだとは半分思っているのですが、それは毒蝮三太夫がやるから粋で笑いになるのであって社長。。あなたでは無理です😥)

そのような訳で公平な人事制度もなく、社長の胸先三寸で評価が決定する場においては何といっても属人化が効果を発揮します

最近ではEightのような名刺管理ツール(SNSか)で社内で情報を交換しようという動きがありますがこれは大変素晴らしい取り組みだと思います。

こういう取り組みがうまく機能するかどいうかは、社員が会社に対してエンゲージメント(従業員の会社に対する愛着心や思い入れ)を持っていて、十分に心理的安全性が担保された能動的で創発的な組織文化がある環境である必要性があります

会社への信頼感、帰属することへの喜びがあれば、子供が親になんでも報告するように会社に自分の関わっている内容を報告し、結果とし情報が共有化され発展していきます。

今日のビジネス環境では情報の共有化が命ですから、トップがやらねばならないことは、まさに従業員エンゲージメントを高める。。心理的安全性の担保された組織文化をつくるということに他ならないでしょう

残念ながら組織のトップは人として素晴らしいからトップになったわけではなく、様々な人的要件の積み重ねであったりするので、人を治めるものとしてはアウトだったりする事があります。

現実問題、そういうトップの元で生き延びるには自己保身のために最適化しなければいけないので、徹底して仕事を属人化するわけです。

それは私だけではなく、社員も本能的にわかっているらしく、社内で情報を共有化しようという意識は極めて希薄です。誰が何をやっているか全くわからない。。Eightを活用しているのも多分社内では私だけのような気がします。

ある面、恐怖政治で統治している組織文化なので、民衆が横同士の連携が希薄なのは統治者からすると都合がよいらしく社内SNSの導入は全く視野に入っていなさそうです。

その反面、首輪ツールの導入には積極的でしょっちゅう「誰誰が入力していない!」と騒いでいたりします。

今回のコロナ禍はこういう狂った環境に毎日身をおいていた自分に天が与えてくれた恵の期間でありました。現在もコロナは収まる気配がないので、本年も当分はテレワークで行くでしょう。。本当にありがたい限りです。

本心では自分の仕事の取組みや、もっといえば”思想”を社員と共有したいという潜在的な欲求はあるのですが、様々な事情で難しいのでたまに有志と勉強会をやるにとどめています。

 

 

 

 

 

 

 

 

人は皆よりどころを求めている。。

子供の頃よく親と一緒に見ていた時代劇では、毎回毎回、悪のお代官様が暗躍し、手下の武士は、気に入らない町民を”切り捨て御免”をしてもまかり通るような危ない世の中を描いていましたが実際はかなり違うところがあるようです。

時代劇でも、馴染みの蕎麦屋で岡っ引きと同心の旦那と店の女将さんが、なかなか解決しない事件に関してあーだーこーだと実に自然に話をしていますが、おそらく実際の江戸の町でも、似たような光景があったのではと思います。身分は違えども一つ処で相和する文化というのでしょうか。。。これが西洋の階級社会では完全に”クラス”が違う場合には同じ店で飲食をするというのはまずあり得ないことでしょう。。。経済評論家の山崎元さんがイギリス赴任中に、職場でサッカーの話題を出したら「我々もサッカーに関しては興味はあるけどウチの職場では控えたほうが良いよ」とコソッとアドバイスされたそうです。なんというかサッカーは中産階級以下の人達が興ずるスポーツという事なんでしょうね((((;゚Д゚))))

まぁ実際に江戸の世に生まれて済んだわけではないので、体感覚はないのですが、その時代においては世界的に見て稀なほどに治世の良い平和な都市文化があったのではないかと思われます。

そして時代劇を見る限りでは「お天道様が見ているんでさぁ」という感覚が庶民にこれでもかというほど根付いてまして、実際の当時の人々も神仏を敬い、目に見えない存在に対して畏敬の念をもって暮らしていたのでしょう。

生活と人々の信仰が良い感じでリンクしていたと思うのですが、これが明治以降どんどんと失われ、敗戦を機に日本人が精神的拠り所としたのが、「会社教」であるという論説を読んで”なるほど!”と思いました。

「令和」日本は、不幸の元凶である「会社教」を捨てよ!と題した北野幸伯(きたの・よしのり)氏の記事をたまたま手元にあったRenaissance(ルネサンス)の書中から目についたのですが、

開国時の動乱、そして終戦と日本人にはそれまで精神的な拠り所としていたものを根底から覆されるような変化を乗り越え、戦後70年以上、日本人の精神的な拠り所は終身雇用制が担保され右肩上がりの保証が約束された”会社教”であるという主張にはポンと膝を叩く思いであります。

つまり会社=信仰の対象なのです。。。

私も色々な会社を渡り歩いてきましたが、本当に会社という場は独特の宗教性を持っているなと常に感じます。ましてや為政者が新興宗教に傾倒していたりすると計り知れない恐ろしさを内包していたりします。

www.asahi.com

「絶対に潰す」なんて本来の趣旨を考えたらあり得ない発想ですが、いかれた狂信者・教条主義者は平気でこういうことをするのでしょう。。。

まぁこういう事例を見ると社内目安箱のようなものを信じて投書すると「トラップに引っかかってアウトだよ」という事なんでしょうね。

件の北野幸伯氏はポスト会社教? 日本再生のための中心的価値として「家族大切主義」を掲げていますが、これには私もいたく同意するものであります。

2つの現世利益(終身雇用・年功序列)を信者に約束できなくなった会社教は死にました。。それでも多くの日本人が朝から晩まで働き続けているのは、おそろべき慣性の力が今も尚働いているのでしょう。。。。それを支えるのは拠り所を必要とする多くの人々の集合意識なのだなと感じているこの頃です。

 

 

 

 

 

どの会社にもいいところはある。。。かな?

先日、Web上ではお知り合いでしたが、リアルでお会いするのは初めてという方にわが身を置いている会社の日常の惨劇?を軽くお話させて頂いたところ、もう本当に目が点になっていましたね。。。。

ストックホルム症候群ではないですが、人間は閉塞された環境下で虐待を受け続けるとたまに狂乱のご主人様が施しを与えたりすると心底感激して心酔してしまうのかも知れません。。。危ない危ない。。。

さて、もはやMプレイを楽しんでいる御仁ばかりが集うわが社ですが、そんな中でも良いところはあります。まず

社長や上位者(ほぼいないが)が同席した飲み会は支払いはしなくても良い。これは社員の給料がお寒い限りなので付き合わせたい側からすると会社経費で払って逃げられなくするという事です。

②時間的余裕があるので副業に社員が勤しめる。。要するに副業をしないとやっていけないわけです。。。私もコンサル等で副収入を得ています。

③PCは会社支給。。今回数年ぶりにノートPCを新調してもらいました。前に買ってもらったのがWin8.1とかでしたから本当に久しぶりです。もちろん個人使用バリバリします。但し10万円以内で購入しないといけません。今回はなんとか10万円以内でまぁ納得の行くものを選ばせて頂きました。HDDが200GBしかないのでウェブストレージを利用することになりますね。。Win10proです。

営業サイドの人はスマホも支給されますが、これは首輪ツールももれなくついているのでノーサンキューです。

まぁそのようなわけでノートPCを買う事なく個人使用でバリバリ活用しているという次第でございます。これでノートPC二台持ちでテレワークがそれなりに捗りそうです。

そして社員の誕生会が毎月あるのですが、これがまた寒い。。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルおそらくは社員とこういう機会を通して交流を図りたいのでしょうが、思春期の子供さんをどう扱っていいかわからない仕事人間のお父さんという風情の上層部が非常に痛く映ります。「ここは出ておかないとまた気を悪くするから。。。。」という社員の共通了解の中、ぎこちなくお昼時に会は催されます。。。

 

まぁいずれにしても、組織に属していると享受できるものが時たま降ってくるので受け取れるものは受け取っておきましょう。。。。。。

 

 

 

 

積極的絶望を越えて。。。

まずは現状を正しく認識する。。。私と同様にこれができない人は非常に多いと思います。とくに自営業者・フリーのFacebookグループイベントなどで、『溜まっている領収書で封の開けていないものを皆であけましょう』というワークショップ?があるのが目の端にとまったような覚えがありますが、これはないなか良いイベントではないかと思います。

支払いが遅れていたり、借金があるとまともに自分の家計状況を見るのが怖くて仕方がないのですが、まさに自分も身に覚えがありまくりです。

ライフプランナーという生命保険の外交員の方々も無償で安心安全な場で「まずは現状を認識しましょう」という場をつくっていけば後々の集客・見込み客につながるのではないかと思います。(まぁ確率は悪いでしょう)

いずれにしても、自分の現状を正しく分析することが全てのスタートであると改めて教えてくれた本がこちら

 

 特に大きな問題にぶちあたった時に、それをどう分解して大きな問題を小さな問題の集まりに落としこんでいくかというのは参考になりました。(わかっているつもりなんですけどね)

それらを踏まえ、自己の現状を認識した上で敢えて言ってしまうと「負けを認める」「正しく絶望する」「積極的に絶望する」ということに帰結するのかと思います。

 

 

我が事に鑑みますと、キャリア形成という点では、潔く「負け」を認めるという点が大切です。

山口周さんは著書や論評の中で、硬直した会社組織の中で取り得る選択は二つオピニオン(上申)エクジット(退社)と言われていますが、ブラック企業の中においてオピニオンはあり得ないのでエクジットすることでの意思表示しかありません。

 

ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式

ニュータイプの時代 新時代を生き抜く24の思考・行動様式

  • 作者:山口 周
  • 発売日: 2019/07/04
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 しかし家族を持つ身で貯蓄も無い状況では、辞めたくても辞められません。キャリア形成もさることながら資産形成でも大負け状態です。

ここで目を背けずに正面から自分を直視すると、お前は既に詰んでいる状態であることを自覚せざるを得ません。

ままならぬ我が身を何に準え(なぞらえ)たら良いのやら。。。

積極的に絶望すると決めたので、現状の中でできることを着実にやると視点を切り替えることが大切です。良く刑務所の中に入った人が色々な工夫をして疑似タバコを作ったり(みかんの渋皮をためてつくるようです)脱獄のために毎日コツコツと 鉄格子を削っていったりすることに習い”ブラックな就業環境の中でできることは何かないかを探りたいと考えています。

一般企業のように業務のKPIとか人事考課とかないので、すべてはトップのご機嫌次第です。逆に言ってしまえばここさえ押さえれば楽勝とも言えます。

最近人づてに聞いた話では、とある商品の仕様変更を進めていくにあたり、とあるトップの耳に入らなかったということで相当常軌を逸した暴れかたをしたようです。まぁ知らなくても仕事上は何の問題も無いのですが、自分の存在が無視されることは耐えがたいのでしょう。そうかと言って正直に進んでいる仕事の内容を上げたりすると、実務経験がないのでトンチンカンな事を言って困らせてくれますので最悪は社外のお客様に多大な迷惑をおかけすることになります。

基本的に取り得る戦略としては「何もしない」がベストですが、何かを進める際には社外の協力者をうまく巻き込むのが肝心です。

先日の社長飲み会(本当は送迎会だったのに。。)に参加した際にも、社長本人の経歴の中で政治と深く関わっていたキャリアがあってむしろこちらが本域なので、数年前から私のルートで関りを持たせて頂いている元国会議員の方の名前をポロッと出しました。「社長○○先生ご存知ですよね」みたいな感じで。。表情は変えなかったものの「なんでこいつ知っているんだ。。。」とは思ったはずです。。

こういうネタを小出しにしていくことで、あなた方の行いは全て神のごとく見ていますよ。。言わないだけでね。。」というメッセージを伝えていくのです。

何しろ私は某調査で探偵事務所に依頼した時に、その下準備の良さに「探偵になれますね」とお褒めの言葉を頂いた身です。謀略家としてやろうと思えばある程度のことはできます。

時代的に”女性性”がクローズアップされている中で、以前として男性原理が強く働く環境(プラスして宗教原理が働くのでブーストアップされます)では残念ながら力を背景とした脅し(ブラフ)を持っていた方が良いのです。

ここで社内目安箱に投書する(そんなものはあるはずないが)とか、労基署に相談に行くとか弁護士に相談するとかをやりがちなのですが、そんなものは何の効果もありません。録音等とっても、そういう負の行いをしている事で自分のメンタルが下がるのであまりお勧めはできません。

それよりも自己の版図を広げて行くことに注力するのです。所詮パワハラする人間は小物なのでいつの間にか飲み込まれてしまうことは必至です。

話が回収できなくなりつつありますが、昨年までは退出することばかりを考えて取り組んでいましたが、現状難しい場合には、今ある環境下での最適化を図りつつ好機を待つという穏やかな姿勢で今年は参りたいと思っています。

 

 

 

 

 

夏目友人帳に見る事情を抱えたものの生きづらさ。。

今更ながらですが、夏目友人帳にハマっているのは先の記事でご紹介させていただいた

通りです。

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夏目 貴志

主人公の夏目貴志君は、小さいころより「見えてしまう」資質を持っていて、それ故に気味悪がられたり嘘つき呼ばわりされてきました。

早くに両親を亡くし親類の家をたらい回しにされていたのですが、心優しき藤原家のご夫婦に引き取られ、ようやく安息できる場所を得ます。

小さい頃からこの”見える体質”のおかげで周囲との軋轢が絶えなかったが故に”藤原家の人には、妖が見えることを知られたくない!”という思いがとても強くていたたまれなく感じます。

いやいや藤原家の人だったらそんな心配しなくても邪険にしないから大丈夫だって。。

塔子さんは絶対そんなことしないって!と声を大にして言いたいの

 

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塔子さん

ですが、まるで保護犬がなかなか人に心を開かないように、”正直に言ったらのけ者にされる”が身に沁みついているので難しいのでしょう。。。

 

最近は、時代的恩恵もあり様々な個々人の個性をカミングアウトして、それが概ね世の中から受け入れてもらえるような空気感があるのですが、それでも視える人達にとっては、まだまだ世間の目は一定の距離間と警戒を要すると思われます。

私の場合には幼少の頃から何かが見えたわけではないのですが、良く思い返して見れば神仏事には何やら畏敬の念を持っていたように思います。特に誰かから影響を受けたわけではないのに親に神仏事に関して助言したこともあり、親からすると”ぎょっ”としたのだと思います。そこで神童現る!と世に宣布してくれたらまた私の人生は違っていたでしょう(^^)

そういう私の様子を特に母親は心配して神仏事には近づけないようにしていたのですが、結果として学生時代は某新興宗教にどっぷりはまることになりました。

 

 

asakazuya.hatenablog.com

 

まぁそのような訳で、色々と事情を抱えたものが他者と関係性を結ぶというは、常人の何倍ものエネルギーを要するわけであります。

夏目貴志くんが、学校の友達と何気なく会話を交わしているように見えて実はその裏では妖との攻防を繰り広げていてそれを悟られないように気を使っているという日常が、過去の自分とオーバーラップして思わず”わかる!”と膝を打ってしまうのであります。

 

齢50を過ぎると、話し相手になる人も相応の人生経験を積んできた人が多くなりますので最近は差しで飲んだりすると「いやぁ私若い頃はヤンチャしていまして」みたいな感じで話すこともあるのですが、相手は「へーそうだったの?」みたいな感じで気にもとめない事が多いです。というより何かを乗り越えて来た人みたいに感じ取ってくれているのかな?と思うときもあります。

 

夏目友人帳はまだシリーズ最後まで見ていないですが、妖が見える夏目くんとして藤原家や友人に受け入れられるといいな(^^)

老人対応スキルに有効なのは物事の見える化。

仕事上、70歳くらいのお偉い人達を相手にプレゼンし物事を進めていく必要性があるのですが、この年代になってくると言語からの理解能力が落ちるらしく、文書や口頭で相当筋道立てて話しているつもりでも、なかなか真意を分かってもらえないと感じています。

そこで有効なのが議論の見える化を助けるツールとして、ちまたで話題のグラフィックレコーディングという手法です。

 

この本は数あるグラレコの本の中でも、初心者やグラレコってどう描き進めていくの?という人へのガイドブックとしておすすめです。 

一応、わが社のゼーレの老人たちからは、「あいつは描いて説明するヤツ」という認識は頂いています。(^^)

 

 

何しろ会社内で心理的安全性をベースとした対話を交わす。傾聴し合う。という文化がないので議論はどっちが勝つかという空中戦か、一方的に大王(おおきみ)の詔を拝聴する場となりがちです。

 

 昨日も数少ない社内有志とZOOMで勉強会の場を持ち心理的安全性について考えてみました。。。遠い目(; ̄ゝ ̄)

 

話を戻しまして、理解力が落ちている老人達は潜在意識的には自己の能力不足を感じています。権力を持った老人は、その位置と引き換えに恐れの世界で暮らしていますので未知の話が飛び込んでくることを頑なに拒みます。

まるで世の大半は地動説を大っぴらに唱えることができるようになったにも関わらず天動説に老醜を晒してしがみついているかのようです。

「怖くないんだよ」とまるで幼稚園生に教え諭すように、わかりやすいビジュアルな表現でプレゼンすると、旧世代の人間にとっては”かわいく”映ることと、自分から理解を獲得したという”自己決定感”を与えることができるのでとても良いと感じてます。

もはやこの域までくると”社内介護”と言っていいレベルなのですが、お蔭様で物事をわかりやすく伝えるというスキルは磨かれっぱなしのこの頃です。

 

 

 

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| を見てきて考察の入口に立ちました。

高校生の娘と一緒にエヴァ劇場版最終作を見てきました。さすがに高校生になると父親とは一緒にお出かけしたがらないのですが、今回は学校の友達で誰もエヴァファンがいなかったりするので(クラスに9人しかいない)半ば仕方なしに一緒に行ったとという感じでしょうか。。。

www.youtube.com

ちょうど少し遅れ気味の思春期というか、携帯スマホを持たせてから人格が交代(後退)したかのようにネットの世界にダイブしてなかなか現実世界に戻れなくなってきているので、このままでは「人に戻れなくなる」と思ったのか、自らとエヴァパイロットの少年少女達との心情世界を重ね合わせに来たかったのかもしれません母親のいない身の上というのも、エヴァパイロットの条件と奇しくもかぶります。。

娘は相当に感動していたようで結構ウルウル( ;∀;) していました。

あまりにも謎設定と意味不明な語句がなんの前置きもなくポンポン出てくるので、ある程度の予習は必要です。私もそれなりに予習はしてきましたが、それでも今ひとつ疑問とうか消化不良な部分がままありました。

もう一回見に行ってもいいかなと思っているので、誰か一緒に行きたい人いないかな(⋈◍>◡<◍)。✧♡

必死についていかないと観客が置いてけぼりにされるような作品ですが、こういう突き放した作り手の姿勢が、マーケティング全盛の時代に奇妙な形でハマっているのであろうと私は感じています。

ちょうど前日に都市伝説を見たこともあり”人類の創生に関して思いを馳せていましたので、今回のエヴァでは非常にシンクロを感じる体験を得ました。

これもゼーレのシナリオ通りか。。。。