自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅https://blogmura.com/ranking/in?p_cid=11013598

流れに逆らうボトムズ(底辺野郎)へは甘い慰めよりもウドの苦いコーヒーを。

新年あけましておめでとうございます。不思議なる導きにより思いもがけない角度より一筋の光明が差して転機を迎え無事に年を越せました事を、地においては諸々の関係者の方へ、天においては私を導き給いし天の御存在に対して深く感謝を申し上げる次第です。

結局は人は流れには逆らえない存在であり、いくらがんばっても流れに逆らっていたり種を蒔く時期ではなかったりしたら実りは得られないということを、私の人生の半生で深く悟るものがあります。

「頑張る」とは頑固に我を張るという事でもあるので、本来はあまり賞賛される行いではないと思うのです。日本人はあまりにも「頑張り」を信奉しすぎます。

「頑張り」が有効なのは整った環境下の中での話です。例えばプロ野球選手のように素晴らしい練習環境やコーチ陣やメディカルスタッフが整った環境であれば「頑張り」は有効です。

学校もある種保護された環境でもあるので、こと勉強に関しては「頑張り」は通じやすいでしょう。点数を上げればいいだけですから。わかりやすいところでは「筋肉は裏切らない」で筋トレはやればやっただけ成果が出やすいので「頑張りがい」があります。

ところが就職や結婚や事業で成功するという世界は、何分不確定要素が高いです。特に就職の確率を上げるための万民共通の要素は「年齢」で、若ければ若いほど有利です。

私のように55歳を過ぎての再就職となると、頑張ったからどうにかなるという世界の真逆の世界の出来事という感じがします。

例え若い人であっても「時ではないな」と感じたら安易に転職するのは避けた方が無難です。伏線だけ張って時を待った方が良いでしょう。大事なのは頑張りが通じない環境では無駄な足掻きをするのではなく流れに身を任せることと時を待つということです。

そう考えると自己啓発コーチングを受けること等の足掻きの全てが転職や独立自営という成果に結びつかなかったので大いなる無駄でありました。。

行き詰った精神状態でありましたのでスピリチュアルな学びもたくさんしてきましたが、具体的な益をもたらすものではありませんでした。

私の反省点の一つは自分の身の丈を超えた理想にこだわった点です。年収に関しても、やりたい仕事に関しても「こうしたい」という欲求は大変強いものがあり、それが私の行動の原動力でした。しかしながら自己投資とばかりに自分の身の丈を越えた出費を重ねてきたと反省をしています。

自分の家計状況を考えれば、そもそも子供を私立高校に通わせることも無理がありましたし大学へ行かせることにこだわる必要もありませんでした。もっと言ってしまえば家を建てる必要もなかったと思います。

何年か前にホロスコープで占ってもらったことがありますが、仕事とやりたいことが一致していないと厳しい星をもっているようで、簡単に言ってしまうと「やりたい事しかできない」タイプなので苦しみも尋常ではないのですが、やりたい事を具現化する力、金に換える力が無かったようです。

とにもかくにも、55歳を越えて未経験ながらも異業種へ転身しサラリーマンとしての身分を得られたことは我ながらスゴイ事なのですが、それとは引き換えに「自分に務まるのか?」という懸念は払拭できません。

まず一番の関門は慣れない都内の運転です。首都高は本当に怖いです。そして長距離通勤で体力が削られた上での激務なのでストレスは想像以上です。

毎日命がけで仕事に臨んでいます。たまに体調不良をおこして「早く帰った方がいいですよ」と言われたりもします。周囲の人たちは優しいのですが、自分の能力不足で仕事は大変厳しいです。

この娑婆世界は所詮は地獄界です。サラリーマンは残るも地獄で辞めるも更に地獄なのです。

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しかしながら地獄に階層があるとするならば、一番の最下層は収入がないという状態です。収入がある時点でまだ救いがあると捉えるべきでしょう。

テレワークで時間があったときにどっぷりハマって見た「装甲騎兵ボトムズ」の銀河万丈のナレーションが胸に響いてしまうこの頃です。

「来週もまたキリコと地獄に付き合ってもらう」

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覚醒への扉を開く

このブログの主題が「自己覚醒録」であることを考えた時に今までの人生体験や学んできた事を統合して今の時代性や今を生きる人々に向けたメッセージを伝える事が覚醒した自身の役割だと思い至るようになりました。

 

私の恩師からは「52歳からが人の本当の人生のはじまり」と聞かされていたのですが52歳以降の私の歩みは「こんなに人の本当の人生がたいへんだとは思わなかった。来世は飼い猫が良い」と痛切に感じる日々を送ってきたように思います。

 

仕事とは何か?流れとは何か?人生の目的や生まれながらに持っている御役目は何か?とりわけ私の場合は家系的な解決しなければならないテーマがありそのためには地上でどのような困難を克服していかねばならないのかを自然と悟りつつあります。

社会課題と個人の課題がリンクしていると痛切に感じてもいます。これはとりわけ就職氷河期世代の人はダイレクトに人生に影響を及ぼしているでしょうし、日本社会の再チャレンジ不可能性も実感として持っているでしょう。私の場合も50歳を過ぎてからストレートに転職活動することの困難さを身に沁みて実感しましたし、大きく横たわる社会課題の前に残念ながら命の灯火を自ら消してしまう人もいます。

この現世を生きる人々に私なりに無私の心で降りてきた内容を述べ伝え教導していきたいと思うこの頃です。

最近悟った内容。キーワードは無理をしない

最近一つの悟りというか気づきを得たのですが人生の要諦は「頑張ることを放棄する」ことだと感じます。

自分はあまりにも現実を無視して上を見すぎていました。結論から言うと自己啓発に時間とお金を投資してもリターンは得られません。

人生を根本的に変えるリターンは得られないという意味です。

大前研一さんが人生を変えるには3つしかないと言っています。

①住む場所を変える

②会う人を変える

③時間配分を変える

これだけ?と思うかもしれませんがこれを変えるのはなかなかたいへんなことです。

自分が好んで学んできた内容 例えばティール組織の読書会を共同主催したりしたことがあるのですが現実問題、こういった内容を少しでも具現化していこうというフォースが働くのは大企業だけです。

一月に本を一冊も読まない社会人は少なくありません。何故か?役に立たないからです。趣味として読んで楽しむにはよいですが自分の人生に影響を与えよう。学びを力に変えようと思うとドツボにハマります。

SNS全盛で少しでも自分をよく見せようとしてきました。おかげさまで自分が写った写真が昔は好きでなかったのですが今は大好きになりました。

しかし現実はどうか?相変わらず人間関係に苦しみ。お金に苦しみ。自分の時間の無さに苦しんでいます。

とりわけ環境の力は大きく。いくら凡庸な資質の人間であっても環境が良ければそれなりの人になっていきます。逆に優秀な資質の人間でも環境が悪けれは成長のチャンスはありません。

自分が今いる環境を正しく捉えるということが大切です。

私には与えられている環境の中で無数のチャンスを取りこぼしていたと後悔しています。

青雲の志を持っていいのはやはり若者の時期であって学生の身分を離れて社会人になり結婚して家庭を持てば今の環境の中で見落としているものはないかを探してみることかと思います。

耳に痛いのですが第三者の指摘も大切です。単なるドリームキラーは排除すべきですが、別の視点で環境を俯瞰して見てくれる人が必要です。

そこで初めて自分の強みを生かせ他者に喜びを与え利益を得られ楽にできる物事が見えてきます。

ここでのポイントは自分のWantを優先しないことです。実を言うと私は研修講師の仕事が天職だと思っているのですが「講師の仕事はフリーでしかないです。」とキャリアアドバイザーから言われてそれはそうだろうなと思っています。

そんなわけで私がこれはどうかと思ったのは以前勤めていた会社が合併される前の儲かっていた時期に関連会社に利益を落とす目的で社員に整体の研修を受けさせて無理やり資格を取った事があったのですが「整体」は一つのキーワードだったなと今更ながらに感じました。そして食養生の料理教室も月1で参加してまして、これも関連会社の仕事だったのですが「食養生」もキーワードです。

あの当時はもっと上流の仕事に対する憧れや漠然とした上昇志向があって見落としていたのですが整体の仕事で身を立てるのであれば履歴書や職務経歴書を気にするより腕であるかどうかやホスピタリティがあるかどうかの話なのではるかに地に足がついていたなのと感じます。

もちろんレッドオーシャンであり市場は過当競争なのですが、それでもやればやるだけリターンは得られる部分はあると感じます。少なくとも技量は上がります。

色々なことに自己啓発&投資する必要はなかったのではと感じるこの頃です。

自分の心の声や自分の本心を押し殺して無理してなんとか頑張っても傍(はた)をを楽(らく)にできない事が悲しい😢です。