自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅https://blogmura.com/ranking/in?p_cid=11013598

空気清浄な環境で過ごすと人はこうも自然で健康な感情を取り戻すのかと驚く。。。。

今回のコロナ騒動の影響でけテレワークにシフトしている方は多いと思います。私もテレワークに突入して三週目を迎えています。

この間、個人的に感じている本音の部分をお話すると「あのネガティブな空気に触れないで済むと、こうも健全な思考や感情を取り戻すのか」と驚いています。ずーっと数年来続いている朝の瞑想のルーテインがあるのですが、さすがに会社に出勤していたときは、せいぜい10分~15分くらいでしたが、今は1時間の誘導瞑想の音源を聞きながら毎日のようにできています。そして可能な限り最寄りの鎮守神社に御参りしているので、本当にスッキリと思考がクリアになってきました。

これからのキャリアを考える上で、準備している内容があるのですが、アイデアも次々と浮かんでいます。また時間的に平日動けるのでハローワークの登録もできたのでネットでハローワークに登録された求人検索をかけています。

現在のスタンスはとにかくパラレルで「行けるとこから行く」です。

ひとつ気づいた事は、自分は本音では「起業したい」んだなと言う事。。自分の裁量と自己責任で仕事がしたいんだな君は。。。(^^)

だから口では「転職したいんです。」と言っても「会社務めしたくないでしょう」という本心の部分がブレーキをかけているのです。

 

まるで「アタシ結婚したい!結婚したい!」と言っている妙齢の結婚しなくても幸せな日常を送っている女性のようですね。

 

只、現実問題として子の養育や抱えているローンもあるので、空いているドアがあって、はまれるスペースがあれば「ポン♪」と入ってしまうという「割り切り」が大切だと思っています。(これは確かドラゴン桜の続編の女性英語教師の転職の場面でもこんなケースが出てきたと思います)”ご縁”があったら迷わず飛び込みます。

 

Day and night time Rain and sunshine I seek my dream Everywhere

 

 

同じ事象を見ていても、人によってこうも見え方が違うのか。。。ということを学ぶ。。

ある種、一つの確信を得つつあります。。。。リク〇ートやD〇DAのような大手人材紹介会社に登録しても、自分の場合には自身が削られるだけで何の前進も得られないのではないか。。。と感じています。何しろこれまでの経歴では業務を通じてスキルアップや対外的に通じるキャリア構築を図れる環境ではなかったために、社外の活動を通じて自己啓発をしてきた努力をアピールしたいのですが、そこは蚊帳の外なんですよね~。あくまでも就業してきた会社での経験ベースで職務経歴書をつくるのです。。。そうすると自分でも面白くもなんともない経歴書になるので全然魅力的に映りません。。。

私の妹が社会人になってから、転職のために医療事務の資格を取ったのですが「経験がないと採用できません。。」と言われ続けて医療事務の仕事をあきらめたのと似ています。

では地元密着の人材紹介会社であればどうかというと更に案件が少ないこともあり、先日、担当者から「アサカズさん!まだ仕事決まっていないですか。。。ゴルフ場の受付の仕事があります!50歳過ぎていてもOKですよ」と担当者のやや紅潮した表情を電話ごしに感じながら「せっかく探していただいたのに申し訳ありません。。。。」とお断りの返事をさせて頂きました。

その他にも登録した大手の人材紹介会社から毎日のように「書類選考が通りました!」とくるメールを見ると”タクシー乗務員”か”〇〇建託”とかの営業になります。

厳しいですね~。。。。。

その一方で”LINKEDIN”にやや盛り気味に書いたプロフィールを見てリサーチ会社から「是非あなた様の知見をご教示ください」みたいなアプローチを受け、業務委託的なコンサルの仕事を取れるかも知れません。いくらなんでも分不相応だな~と感じているので成立するかどうかわかりませんが、これも経験であり”ネタ”になるので、電話面談を受けることにしました。

もちろん雇用主として人を採用する側と単発の案件を依頼する側の事情や考え方が異なることはわかるのですが、こうも同じ人物を見て見方が違うものか。。。と感じています。

やはり自分が生きるフィールドに向かって、自分を解き放つことが大切だと感じるこのごろです。

「何をやるか」より「誰とやるか」 良き人との出会いを求めて。。

今から15年以上前、日本におけるインターネットのブロードバンド 黎明期に非常に社会的インパクトを与えた”Y〇〇〇〇!BBの拡販に心ならずも携わっていた時期があります。甘露の慈雨のごとき恵みを与えてくれたお仕事ではありましたが、それとは引き換えにあらゆる不品行な行いを目の当たりにしました。ソフ〇バ〇ク本社もこういう事態を看過していたわけではないのですが、とにかくテンポの速さが身上の会社だけあってあらゆる事が”アンコントローラブル”だったと思います。

同じ販売スタッフ同士で「”報道特集”で取り上げてくれないかな?」なんて揶揄し合っていましたね。

販売の現場で幅を利かせているのは、そろいもそろって人相の悪い外部委託の連中で「この品性のかけらもない連中に指図されてやるのか」と暗澹たる気持ちになったものです。

仕事の中身自体は嫌ではなかったのですが、とにかく関わる人々の品性の無さ”えげつなさ”に辟易としていました。

かようなことから、仕事は「何をやるか」よりも「誰とやるか」の方がはるかに重要であると思います。

仲の良い友達同士や愛し合う恋人同士であれば、どこへ行っても楽しいし、何をやっても楽しいのだと思います。逆に嫌いな人同士であればハワイ旅行も苦痛で仕方ありません。同じ時間を過ごす場合には、絶対に自分と相性の良い人や自分が尊敬できる人、信頼できる人と共に過ごしたいと思うのは人の常でしょう。

その「誰と」の部分をどうやって選択するかが大切です。

キャリアの岐路に立っている。。というよりも崖っぷちまで追い詰められている自身にとってこの「誰と」の部分を選択できるのかどうか。。。

正直、転職というアクションから自分が望むような”層”が多い職場環境に転身できるかどうかは確率的にはかなり薄いと思われます。

ではどこで”よき人との出会い”の確立を上げていくのか。。。というと自分が取り組みたいテーマや関心のある物事にちなんだイベントや勉強会に出かけて行って相まみえる事でしょう。

ここ数年ずっとそういうアクションをしてきましたが、薄い縁が広がりところどころで濃いポイントが出来て随分と人生が豊かなものになってきたと思います。まさしく、「ライフシフト」で提唱されているような、人生100年時代を豊かに生きるための、SNS上での広くゆるやかな繫がりと、自己再生可能なコミュニティを築きつつあります。

リアルで良い邂逅を得るためにも「読書」というものは不可欠で、私がわざわざ長距離通勤をしてまで都内の会社に通っているのは、”都内の図書館を利用するため”と言っても過言ではありません。

私は実は読書に目覚めたのがつい最近で、日本の文学者の代表的な作品もろくすっぽ読んでいない人間なのですが、本当にリベラルアーツの力が”今ここで必要”と感じていますので、自分がコントロール可能な積み重ねを続けていきたいと思います。

最近は、古事記から古典の哲学書などにも関心が出てきて「とりあえず借りてみる」という事をしています。今は電子管理のために、本の裏表紙に貸し出しカードがなくて風情に欠けるのですが、手に取った本から「こういう事を学んでいる良き人がいる」という微かな連帯感を感じています。