自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅https://blogmura.com/ranking/in?p_cid=11013598

対人関係をうまく運べないコンプレックスについて。。。。

太宰治の小説「斜陽」は終戦後の没落貴族の悲哀が描かれた物語ですが、物語の終盤に自殺してしまう、弟の「直治」が主人公の姉「かず子」に宛てた遺書の下りを読むと、この切々と語られる”直治の独白”に否が応でも引き込まれてしまうのです。

僕は下品になりたかった。強く、いや強暴になりたかった。そうして、それが、所民衆の友になり得る唯一の道だと思ったのです」

という下りに「わかる!」と膝を打ったものです。

元々がこの直治的な気質を持っていた上に、10代後半で新興宗教に傾倒し、今から考えれば「洗脳」状態になり、性に対する恐怖心を植え付けられ、完全に精神的に去勢された”直治崩れ””がこの世を渡るのはあまりにも葛藤が強かったのです。

ここで、補足をしておくと、この宗教やら信仰に対する捉え方や解釈の仕方というのは、実に人それぞれで、「それはそれ」としてよろしくやって上手に生きている人もいれば(そうでないと生き残れないが)真面目に解釈しすぎて偏執的になり過ぎ、周囲を破壊に導くが自分は元気という人など(ろくでなしばかり?!)実に色々なタイプの人がいます。自分の場合は、簡単に言うと資質に合っていなかったということだと思います。

さて、その”直治崩れ”になりながらも、なんとか社会で自分の居場所を見出そうとして、もがき続ける辛く長い旅が始まりました。

様々な会社で就業しましたが、恐らくは否、確実に周囲からは「こいつ変わったヤツ。。」「線が細すぎる」「やさしすぎる。」「ゲイなのか?」「なんで自分のことあまり話さないんだろう」といった印象を持たれたはずです。。。。。?!

とにかく世の中にシンクロすることができないというのは新興宗教を離脱した人間がかかえる共通の悩みだと思いますが、どんなにがんばっても、それおかしい考えだからとわかっていても自力で洗脳の呪縛を解ける人はそういないと思います。

これは、旧日本軍の先陣訓「生きて虜囚の辱めを受けるべからず」が、終戦後も元兵士を苦しめた。。という世界と似ています。

表面上は、会社のデスクで粛々と仕事をしているのですが、もう過緊張で体のあちこちがチック症状が出ていました。タイムスリップしてあの時の自分に会えたら最大限の優しい言葉をかけて労わってあげたいと思います。。。

現在は、すっかり解脱できているのですが、その解脱のきっかけになったのは、現在心ならずも就業している会社のイベントなどで、教会幹部の在り様を見聞きしてからです。

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「あっ!なんだ!!そういうことだったんだ。」と気づきを得てからは早かったですね。

お蔭様で現在は、知っている人が一人もいないイベントに赴いても、それなりに楽しく過ごすことができます。自分がどういう場に赴いたら楽しいと感じるのかも良くわかっているので「大外れ」を引くことはまずありません。

しかし、この日本という国は、世界でも屈指の男性性優位社会で、粗野で粗暴でありさえすれば居場所は得られる。下品で生きる事に貪欲であればそれが使える男、できる男である。とういうのが皆が口に出さなくとも感じ取っている空気なのではないでしょうか。。。。

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卑近な例で言うと、地元の工業高校を卒業して、在学中は暴走族にも関わっていた関係で先輩の紹介で自動車修理工場に勤め、そこで様々な技術を習得後は独立、いつの間にか地元の顔役でお祭りの時には率先して神輿を担ぎ、消防団長も務める。

地元であればどこへ飲みに行っても顔なじみがいる。結婚は早かったため40代で子育て完了。。こういう人物は案外、親や親戚の評判が良くないですか?

私も、こういう人達嫌いではないし、できれば仲良くなりたいですけど、残念ながら仲良くしてはくれないです。直治よろしく”付け焼刃的な下品””が鼻につくのでしょう。

どこへ行くにも鈍感で粗野な人間の方が生きやすく、繊細で、ある種人からいい人と言われる人が生きづらい世の中ではありますが、人が体験しないことをし、人が感じないことをたくさんしてきた経験は、必ず意味あるものに価値転換すると信じて、すべての体験を統合して世の為、人の為に生きて生かされる私となろうと思います。

学力コンプレックスについて。。。。

私は高校2年生の時に、今でいう”パニック障害”になったり色々とうまく人生を運べない出来事があって学校も休みがちになり、完全にドロップアウトしてしまいました。それまでは国立大学を目指して勉強をがんばっていたのですが、どうにもそのがんばりが尖り過ぎていて自分を痛めつけていたと今は感じています。また高校の先生方の人を教え導く教師としての姿勢を全く感じず幻滅してしまったことも、勉強に対する意欲を失った事に大きく影響しています。

私は自分の資質的に「尊敬する人のために頑張りたい」という近衛兵や執事のような気質があるのですが、権威に対して無条件に従う事。平たく言えばバカ殿に使える”爺”のようなことは本当に苦手なのです。

人生において、少しでも向学心のある人が高校生時代に十分に勉強できなかった。ドロップアウトしてしまったというのは、後々尾を引くことになり、大学入学時に奮起して頑張れば良かったのですが、入学早々に新興宗教に傾倒したこともあり、大変勉強がおろそかになりました。今考えれば言い訳かもしれませんが、その当時は視野狭窄が過ぎて教義の勉強ばかりしてました。

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で大学の4年間を、完全なバカ。。。「完バカ」状態のまま社会に出ることになりました。空手バカであれば己の片方の眉をそり落として「馬鹿よ!」と高笑いすればよいのですが、

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空手バカ

あいにく、只のバカは使い物にならないわけですから、本当にどこへ言ってもピンボールのようにつまはじきにされた苦い体験があります。よくぞ自尊心を保っていたなと思いますが、そもそもそんなものが無かった気がします。やはり新興宗教は若者から全うな自尊心を奪い思考停止の操作しやすい人間をつくる術に長けているのでしょうね。

すっかり学習欲が薄らいだ惰性の日々を過ごしていたのですが、40代半ばくらいから徐々に本を読むようになり50歳を過ぎた今が一番、人生史上で学習欲が高い状態です。

うっすらと種火のように残っていた「自分は勉強ができるはずだ」という自己確信と、あまりにも現実を生きることが困難で、「自分の人生を変えるためには新しい視座に立たねば解決できない。そのためには学びが必要だ」と腹落ちしたことが大きいです。

求人案件などを見ると、一番ネックだなと感じるのが「英語」です。まぁ仕事はさておき、このまま英語で外国人と会話を楽しめず、日本語だけしか操れずに人生を終えるのもどうか?と思うので自己満足だと思いますが、英会話を継続して学びたいと思います。

いつの間にか、学力コンプレックスが学ぶ原動力になっていることに気づいたこの頃です。

 

人の浅はかな図り事を超えて、天命・使命に沿うように生きると生かされる。

人のキャリア形成は、その人個人の”意思の力”だけでどうにかなるものではなく、多分に環境的要件。。はっきり言えば”運”によるところが非常に大きいと感じます。

日経新聞の「私の履歴書」等を読み込んでいくと、「私はこのように頑張りましたので、このような人生の成果を得ました。」ではなくて、色々な困難があったけどターニングポイントで恩師との出会いがあり、今の私があるのです。というストーリーに集約されるのではないでしょうか。。。

YouTubeで元巨人の桑田投手の対談をチラ見しましたが、「あの桑田さんでもPLに入った時に辞めようと思ったのか。。。」という下りを話していました。。なんでもフォームを改造させられて球が走らなくなり、ライトにコンバートされたのですが、たまたま練習を見に来ていたオッサン(失礼)に素質を見出され(すごい先生らしい)て見事に一年生からエースとして活躍することになります。

その後も巨人に入団後、同じようにフォームを改造させられて一年目は活躍できなかったのですが、これもたまたま練習を見に来ていた宮田氏からアドバイスを受けて二年目の大活躍へとつながります。

たまたま練習しているときに見てくれた。。。この薄い縁がなければ、桑田真澄という大投手は生まれなかったかもしれないんですね。

この薄い縁を広げていくためにも、自ら情報を発信し、人との出会いのチャンスがあれば出かけていくという姿勢が大切なのではないかと思います。

 

自身の現状を鑑みると、ブラックな就業環境で非常に苦しく、転職活動等もどうしていいかわからず、離脱したい一心で、様々なコンサルを受け、望む未来をビジュアライズしたりしていますが、もっと大きな天の図り事があるのかもしれないとふと感じました。

 

昨夜たまたまラジオを聞いていたら、霜降り明星のツッコミ担当”粗品”さんが、なんとクラッシック音楽の紹介番組のパーソナリティをしているではないですか。。。おそらくはこの粗品さんと同じような仕事をしたい音楽関係者は山ほどいるでしょう。。しかし”選ばれたのは彼”でした。

 

粗品さんは”夢以上のものが与えられた”と言った内容のコメントをしていましたが、粗品さんがクラッシックの話をするからこそ波及効果が高いんですよね。。クラッシックへの扉が開いたのはM-1優秀時のコメントだったようですが、目の前のお役目である、お笑いに一生懸命になっていたからこそ、もたらされた果実であると感じます。

 

人のキャリア形成というのは、自分の浅い現在地の認知から発想しない。。端的に言うと”策を弄しない”で、自分の直感を信じて取り組めることを取り組んでいけば、やがて天命・使命に沿った生き方になり、いつの間にか、与えられた役割が夢を超えているということになるのではと思います。