自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅https://blogmura.com/ranking/in?p_cid=11013598

災難をどう受け止めるか。。。。

こんな事を改まって言うと世間の方から御叱りを受けそうですが、”コロナ禍”は私にとっては恩恵以外の何物でもありませんでした。

まず、2ケ月半もの期間、テレワークで出社しないで良い状態を得られたのは大きかったです。昨年は本当に”パワハラ禍”で大変苦しみ、年末にも爆弾の直撃を受けて心底参っていました。

今度食らったらもう持たないという状況だったので、予期せぬ休戦期間が与えられたのは本当に良かったと感じています。加えて給付金も入りましたので、個人的にはコロナ様様だったわけであります。

敢えて本当の事を言ってしまうと、そもそも会社という場はパワーゲームに興じる場にしか見えません(他所の会社はちゃんと仕事していると思いますが)

為政者が「今日も下々のものは、俺の言う事を聞いているな」という状況を確認する場でしかないのです。

私の中で固まりつつある決意は、次の就業先が決まる等の担保がなかったとしても「辞め時」が訪れたら「辞める」という意思表示をするということです。もちろん、これは最終手段なのですが、次に人としての尊厳が冒されるような出来事があったら躊躇してはいけないと思っています。もちろんこちらから煽るようなアクションは取りたくないので極力、穏やかに気配を消しながらゲームに参加している次第です。

そう思うと少しは気楽?です。

その一方で、最近は量子力学をベースにしたパラレルワールドにも関心があり、色々と興味を持って勉強しています。こういう内容が腹落ちしてくると「現実をつくるのは自分自身」「どの現実を選択するか」というキーワードがしっくりくると感じます。

やはり大きな枠組みで捉えると、災難は人々に覚醒をあたえる役割を担っていると感じます。

 

アバターに活躍してもらおうか。。。。

自身のアバターというわけではないですが、自分の子供というものは、別人格でありながら「もう一人の自分」という感覚があります。

子供が小さい時に頭でもぶつけようものなら、「あぁ自分がぶつけて痛い思いした方がよっぽど気楽なのに。。」と心底思った事を思い出します。お母さん方は、子供が虐められでもしたら本当に心中穏やかではいられないでしょう。。(´;ω;`)。余談ですが、最近は子供の”いじめ保険”もあるようでちょっとビックリしています。

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話を元に戻して、一つの考え方なのですが、どう考えても50歳を過ぎたお父さんに投資をしても成果が表れづらいので、この際、子供にその分を投資して子供に手を引いてもらうという視点を持ってもいいのではないか?という大雑把な思いが浮かんできました。

上の息子は大学2年生、下の娘は高校1年生なので、「おいおい、それにしてもまだ先の話じゃないか何言ってんだ」という声が聞こえてきそうですが、「子供の世話になどならん!」などと昭和親父のようにカッコつけないで、「お父さん頑張ってきたんだけど現状こうなんだよね。。。」という自己開示をこれからは少しづつやっていこうと思っています。

その中で、新たな視点が生まれるかもしれませんしね。。10年前にひとり親家庭を始めた時に相談した民生児童相談員の方から「お父さん1人で頑張りすぎ、抱え過ぎ、子供に甘えたらいいんですよ。。」と言われた言葉をふと思い出しました。。。

 

知覚外の”知”をいかに得るか。。。。

「知覚外の”知”を得る」は最近の私のメインテーマです。そして我ながらよくこういうワードを引っ張り出したものだと自画自賛しています。(既に世に出ている言葉だと思いますが)

学校教育の弊害かもしれないのですが、現状打つ手が乏しい中でなんとかして現状を突破しないといけない場面でどうしても自分の狭い世界観で頑張り過ぎてしまった過去が何度となくあります。

20代後半でその後の人生に大きな影響を与える決断をしたのも、その遠因は仕事がうまく行かなかったからです。落ち着いて考えれば、あの時に立ち止まって親に相談し、学び直しのために専門学校に通うとかすれば良かったのですが、当時の自分にはそんな発想すらありませんでした。自分がタイムスリップしてあの時の自分に「そんなに思い詰めないで視野を広く持てよ」と言ってあげることができればどんなに良いか。。。

同様に、今の自分も行き詰っているということは狭い世界観の中に身を置いていると考えられます。

未来の自分からのアドバイスを得るためにはどうすれば良いか。。。ということで、最近描いていないフューチャーマッピングをこの機に描いてみようかと思います

最近は夢日記を心がけているせいか、見た夢の内容を比較的覚えていることが多くなりました。今朝の起き掛けの半覚醒時に覚えていたことは、何故か自宅から見る遠方の景色にエベレストのような最高峰の山々が見えました。そこで思いだしたのですが、以前も自宅から遠方の方に目をやると謎のハイテクビルがそびえているという夢をみたことを思い出しました。これがどういう意味があるのかはわかりませんが、どうにも自分の捉えている世界観では限界があるという場合には、普段しないことをする、そして普段会わないような人と会う場に赴くということがヒントになると思っています。

あとはゆっくり寝ることですね。

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