こんな事を改まって言うと世間の方から御叱りを受けそうですが、”コロナ禍”は私にとっては恩恵以外の何物でもありませんでした。
まず、2ケ月半もの期間、テレワークで出社しないで良い状態を得られたのは大きかったです。昨年は本当に”パワハラ禍”で大変苦しみ、年末にも爆弾の直撃を受けて心底参っていました。
今度食らったらもう持たないという状況だったので、予期せぬ休戦期間が与えられたのは本当に良かったと感じています。加えて給付金も入りましたので、個人的にはコロナ様様だったわけであります。
敢えて本当の事を言ってしまうと、そもそも会社という場はパワーゲームに興じる場にしか見えません(他所の会社はちゃんと仕事していると思いますが)
為政者が「今日も下々のものは、俺の言う事を聞いているな」という状況を確認する場でしかないのです。
私の中で固まりつつある決意は、次の就業先が決まる等の担保がなかったとしても「辞め時」が訪れたら「辞める」という意思表示をするということです。もちろん、これは最終手段なのですが、次に人としての尊厳が冒されるような出来事があったら躊躇してはいけないと思っています。もちろんこちらから煽るようなアクションは取りたくないので極力、穏やかに気配を消しながらゲームに参加している次第です。
そう思うと少しは気楽?です。
その一方で、最近は量子力学をベースにしたパラレルワールドにも関心があり、色々と興味を持って勉強しています。こういう内容が腹落ちしてくると「現実をつくるのは自分自身」「どの現実を選択するか」というキーワードがしっくりくると感じます。
やはり大きな枠組みで捉えると、災難は人々に覚醒をあたえる役割を担っていると感じます。