自分2.0へ! 50代からの再挑戦・自己覚醒録

人生のリカバリーショットを放つべく再キャリア構築の旅https://blogmura.com/ranking/in?p_cid=11013598

改めて問う。心理的安全性の重要性。

漫画 グラゼニの中で出てくる内容なのですが、例えば監督が選手を起用してそれに応えなかったとしても監督はそれを一々咎めないそうなのです。(かっての星野監督は違ってたと思うが。。)

 

 

そんな場面で監督が思うことは「使った自分がバカだった」なのだそうです。リリーフで起用されても抑えきれなかったとしても、代打で凡退しても、基本は誰も咎めない。。長いシーズンを戦うということはそういう事なんだそうです。

そしてこちらの記事より

www.sponichi.co.jp

「手痛い憤死が相次いだが、失敗したからといって選手やコーチを責めていては、積極走塁など成り立たない。今季、勢いを生んできた果敢な走塁がなえてしまう。憤死は憤死だが、走塁ミスではないととらえたい。むろん、監督・矢野燿大はそのつもりだろう。」

野球の監督とは”勝つ”ことが非常に求められる職業です。”勝利”のためのマネジメントを追求せざるを得ないので、人間がどうしたらパフォーマンスを発揮できるかを考えざるを得ないのでしょう。

良い意味でプレッシャーは必要ですが、近視眼的な尺度で人を管理するとロクな結果を生みません。。「これは辞めておこう」となります。

プロ野球の世界で、自浄作用が働きやすい面として常にファンの目に晒されているという点があげられます。

お客様は神様とはよく言ったもので、神の目の前には目先の形合わせは通用しないよとの事なのでしょう。酔っぱらったあげくに「桑田ぁ~不動産投資なんかしてんじゃねぇぞ~」とか「清原ぁ~おまえの実家で買った蛍光灯。点かんかったぞ~。」とヤジられてもそこでは”神”なのです。

 

 

そういった事を考えてみると、企業のコンプライアンス問題も常に社会の目に晒されるような取り組みをすると功を奏するかもしれないですね。

私の家の近所の飲食店で朝礼が誰でも参加可能なお店がありましたが、これなぞは面白い取り組みだと感じます。「わが社の朝礼を生配信します!」というのをやってみたらよいと思います。

※ビフォーコロナの私の会社の朝礼は30分以上社員が削られる場でした(つд⊂)エーン

やはり組織は境界を設けることで、内と外の意識が働き 内側でのみ通じる論理に丸め込まれていくので常にパブリックでオープンでありたいですね。

心理的安全性が働きまくる職場環境は今生の夢であり、たどり着けない望郷の地です。

今私ができることは、バーチャルな世界で理想とするコミュニティをつくることなのかな?と感じるこの頃です。