現代人はほとんどの人は”思考停止”しているそうです。それはそうだ。。生まれた時からTVやパソコンでありとあらゆる情報の洪水の中に浸かって、思考を生むための空白や余白がない中で、「学校教育」という「思考停止状態」の人間をつくりやすい教育を受けていたら、容易に操作を受けやすくなるでしょう。。
本来ならば、最も思考と向き合うべき多感な高校生の時に「とにかく覚えてしまえ!どうして?は大人になってからやってくれ」みたいな数学の授業を受けたりすると、もう本当にゲンナリしてしまう子も多いでしょう。。
かくいう私も「ずーっと思考停止状態」で生きてきた過去は、すでに本ブログで開示済ですが、さすがにそろそろ「思考回路」を起動させねばと思い、二年前に社内勉強会と称して「大人のためのアクティブラーニング」というワークショップを行いました。
今から考えても開催までこぎつけたのは、かなりのファインプレイだったのではないかと思います。。。。。
普段から思考停止の頭脳には、なかなか難易度が高い設問をねじ込まれ頭から煙だしながらも数回に渡って学びの場を持ちました。
例えば設問として
Q1:「考えた」とはどういう状態でしょうか? または「考えていない」とはどういう状態でしょうか?
Q2:「悩む」と「迷う」と「考える」の違いは?
Q3「駅」とは何ですか?
という設問に対して大の大人がウンウン言いながら、あーでもないこーでもないと討議を繰り広げるのです。
講師の先生は専門はマーケティングなのですが、”ビジネスアイデア”を出すためには、普段から”考える”ということを習慣化させていないと出てこないんだそうです。
徹底して哲学的な内容に取り組めたのは、本当に良かったと思っています。
ここで、思考の定義についてですが、
”思考とは確立された技術などと異なり、必ずしも結論に至るものではない。思考の過程とは成功への道筋が存在しない中で、暫定的、実験的、壊滅的なさまざまな糸口らしきものを探し、失敗にも多く行き当たりながら思索を進めるもの”
ギルバート・ライル
なんだそうです(^^)。。。
ここで普段の会議やブレーンストーミングの場でも有効な「問い」をご紹介します。
【定義】それは何か?
【因果】なぜ?
【比較】他ではどうか?
【一般化】これだけか?
【信憑性】本当にそうか?
【時間】 いつからそうか?
【空間】どこで 他の場所ではどうか?
【主体】誰のことなのか?
【様態】どんな状態にあるのか
【方法】どうやって
【特殊化】こういうケースはどうなのか
【経緯】 いかにしてそうなったのか
【限定】すべてそうなのか
【当為】どうすべきなのか(あえて)
こういう問いが自由闊達に繰り広げられたら、どんなに素敵なんだろうと夢想するのですが、残念ながら私の普段の就業環境では「問い」を発する空気感に窮しています。
「なんで~」なんて問いを発すると子供になっちゃうから言わないでね。という残念な大人達。。。
AI(人工知能)が大活躍するであろう近い将来に、人は人としての在り方が問われてくると思います。人が人である以上、どうか思考を手放さないで欲しいと願っています。
🙏
ワークショップではトゥルーミンの議論モデルにも触れたのですが、これをものにすれば”ひろゆき氏”も論破できるかな?
https://www.atelier-roi.co.jp/the-uses-of-argument/
それって何の根拠に基づいているの?と後から考えれば、疑問が拭えない話に、うまく丸め込まれてしまうという事が往々にしてあるのですが、昨今、ファクトフルネスという本がベストセラーになりましたが、
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
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私達がいかに自身の体験や体感を元に、議論を組み立ててしまいやすいのか、また意思決定してしまうのかを気付かされます。譲れない場で議論せざるを得ない時には主張したい内容の裏付けや担保はしっかり準備したいものです。
只、こういうまともな議論の場が保証されるのは、組織の発達段階として、そこそこ進化型である必要があって、組織文化が未発達で、支配下の民は無知蒙昧が都合よく、異教徒は歓迎されない空気感の中では「思考起動」の機会がないのが非常にストレスですね。。。