この人間社会は人と人の信頼によって成り立っています。夫婦の信頼、親子の信頼、先生との信頼、会社の人との信頼、ご近所や地域社会との信頼。。。
しかしながら人は不確かなものでありますから信頼を裏切られることも多々あります。その人そのものは信頼に値すると思っても、不可抗力的に大きな力が加われば、人間は弱きものなので、心ならずも己の信義を曲げてしまうことがあるものです。
そういう不確かな世界であっても、それでも尚人を信じる道を歩むのは人としての在り方として美しいし、魂の成長を伴うことでしょう。。人を見る目、対局を見る目も養われるのですから、結果としてより多くの人を信じたものが、気がつけば多くの人から信頼されていたという事になるのだと思います。
対して、そんな信頼などという不確かな世界に身を置くのはとうてい耐えられない。。よって”システムによって保証される安心が欲しい。。。というのもわからなくもありません。わかりやすく言うと銀行の”スコアリング”でしょうか。銀行員は信頼などという不確かなものは当てにせず、まず”担保”が取れるかを重視するとは、皆様良くご存知の世界です。
しかしながら、これが過ぎると相手のパーソナリティや人としての在り方に目を向けず、ひたすら確実な物証を押さえる。ということをやっていくと”人を信頼する能力”は間違いなく低下します。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1906/13/news059.html
本記事中にも、言及されていますが、「安心・保証・担保」が全体の組織デザインが過ぎると保守的を通りこして内向きになります。
・曰く、外部との関わりに極端に警戒心を抱く。
・身内(自分のロジックが通用する相手。支配可能な相手)に対しては極めて横柄
・メンバーが何をしているかが常に気になる。
こういう「社会的びくびく感」を持つコミュ障的な会社組織に実は身を置いているのですが、とにかく外部とのアライアンスは夢のまた夢。トップが何よりも大事にしている事は経営の勝利ではなく、村の掟を守ることと思えてなりません。
必然、トップ層は権威主義的になるのですが、権威の裏側には自信のなさと外の世界に対する恐れが同居しているのだなと日々観察させて頂いています。