安倍晋三元首相が白昼の衆人環視の中、銃撃により命を落とすという衝撃的な事件から1ケ月が経ちました。
出来事が終わった後になんとやらなのですが、第一義的には要人警護の在り方こそが問われてしかるべきだとは思うのですが、いつの間にか問題の焦点は某新興宗教に移っている感があります。
台湾問題がきな臭くなってきた、このタイミングで安倍元総理の殺害。。対中国という点では様々な憶測が駆け巡ったようですがまぁ偶然なのでしょう。。
いずれにしても世論の論調としては、容疑者の生い立ちに関して同情的であり、件のカルト宗教と関わりのある国会議員許すまじ!という流れである。。
真っ当な理念があって、それに対して賛同・共感してメッセージを寄せるということは政治家ならあって良いし、むしろ積極的に支援してほしいと思います。
今回の某カルト宗教と政治家の関わりは、選挙活動の応援や組織票が得られるというメリットとの対価にイベントで祝辞やメッセージを寄せてある種のお墨付きを与えるという俗っぽさに国民は憤りを感じているのではないかと思います。
ここで注釈をつけると、国会議員が宗教団体に取り込まれるという事はほぼないのではないかということです。信者が国会議員になったというのなら話は別ですが、ろくに教義も聞いていないような先生が宗教団体の後押しで国会議員になったからとて、教団の意向に沿うような動きはまずしないでしょう(両者の利害が一致した場合を除いて)国会議員とはそういう種族です。。そもそも宗教団体の組織票が無ければ当選しないような人には、それほど大きな力はないと敢えて言ってしまいます。。。
それよりも問題なのは、いい具合に「〇〇先生が賛同しているんですよ」という誘い文句で勧誘されることがあるということです。それでトラブルが発生したとしても、某団体に賛同の意を表した国会議員の先生が責任を取ってくれることはないので、問題の発生を予見しながらも(何も知らないわけないでしょう・・)票欲しさに関わりを持つ事の俗っぽさと無責任さに嫌気が差しているのが今の大まかな国民感情なのではないかと思います。
末端の信者の心理としては、世間で言われている事と、自身が信奉している内容とが、あまりにも乖離しているので、それ故に信仰を強固なものにしていると思われます。宗教団体がバッシングを受けてもなかなか潰れないのはこういう背景真理があるのも一因で、わかりやすく言えば親に結婚を反対されるような相手だと尚燃え上ってしまう心理と似ています?!
正しい物事を進めようとすると必然的に反対を受けるというのは世の常ですが、不可避的な抵抗というよりは、そもそもダメな事をしているから反対されるんですよ。という事なのです。そしてダメを生み出す在り方が問題なのです。
メンタリストのDaigoさんがYoutube動画で、「信者に勧誘をさせる目的は世間との関わりを無くして、より内向きに意識を向けさせて組織への従属度をより強固にするためである」と言われてたのを見ましたが、こういう様々な洗脳ノウハウがおそらくは考えて作り出されたというより、自然発生的に無意識に生み出され続けているのではないかと思われます。。
つまりは在り方の問題なのです。。
宗教組織を成り立たせるためにお布施が必要なのは万人が納得するところなので、万民にとっての救いとなる在り方を示し浄財のみを頂きます。という在り方を示せば生かされるという事が何故わからないのでしょうか?
これは宗教組織に限らず、会社組織をはじめ組織と名の付くうまくいっていない人の集まる集団全般に言えることではありますが。。。。