特に北関東に住んでいると思う事ですが、未だに暴走族が存在し、「走り出したらとまらないっぺよ!」と土曜の夜には傍迷惑なマフラー音を鳴り響かせ好き放題している人達。。こういう人は案外、30も過ぎれば、自営業であることを生かし、自治会の役員を引き受け、お祭りでは世話役を買って出て、消防団にも入って案外ヨロシク( `・∀・´)やっているものです。自営業者のネットワークの会合で、よくよく昔話を聞いてみると結構なヤンチャ列伝を聞かされたりします。いい大人なのに喧嘩自慢の話を未だにしているのが痛いのですが、横のつながりが強いので、このコロナ禍で仲間のお店がピンチという事になると全力で支援してあげたりします。
私は暴走族上がりとか、底辺DQN高校で締めていたなんていうのは立派に対世間的に通用するキャリアではないかと感じます。。
では一線を越えて少年院や刑務所に入った体験というのはマイナスなのかというとそうとばかりは言えません。。。
少し古いところでは安部譲二さんの「堀の中の懲りない面々」や
最近では、チカーノ・ケイさんが米国での刑務所体験をスプリングボードにしてセルフブランディングに成功しています。(あくまで私の見立て)
よって、こういう生まれながらの”荒魂”を持った人達は、何をやってもその胆力で大丈夫だし、悪(ワル)の体験が悪目立ちして他者との差別化に繫がり人目を引き集客を生むのです。
しかし、そんな芸当ができる人というのは限られているので、実際には大きな失点のないように親は子供に教育するのでしょう。。。日本の大多数の親は、おそらくは男女を問わず子供には体育会系になって欲しいのではと感じます。。就職ということを考えると絶対的に体育会系が有利だからです。
子供に芸術系の資質がある場合には、親は多少の警戒はしますが、大学で教員免許を取れば、ある程度は親も納得するでしょう。先生になるのが一番いいのはいうまでもありません。。。
さて、そういう明示はされていませんが、世の中に横たわる暗黙知としてのヒエラルキー構造の中で、その最下位のカーストに位置するのが、新興宗教の信者です。同じ新興宗教の信者といえど幹部クラスは、政治家と繋がってたりするわけですから、これは十分においしいポジションです。要は末端で喘いでいる名もなき信徒が大変なのです。
さすがにおかしいと気が付いてカムイのように”抜け忍”になるも、その前途は結構厳しいものがあります。
組織から刺客が放たれるわけではないですが「世間の目」は本当に容赦ないです。暴走族のように傷害事件を起こしているわけでもないのに、この壁を越えられない人は一生落ち武者のように過ごす人さえいます。。。
暴走族や前科者は過去の過ちが武勇伝になるのに、新興宗教の信者はそれをカミングアウトできない。。
今現在そういう葛藤に悩んでいる方のお気持ちは痛いほどよくわかります。私もその一人でしたから。
しかしながら、ここ数年で私自身が完全に解脱できたことと視座が上がったこと、時代的なSNSの恩恵により繫がりがたくさんできたことにより、私自身を見てくれる人には積極的に「実は過去にこういうことがあったんだ。」と開示しています。
まぁほとんどの人はそんなにそこに食いついてこないのでちょっと寂しいのですが(#^^#)、エガちゃんだったらがっついて聞いてきそうですけどね。。
よって全方位的にネガティブ体験なのですが、これを地上界の人々向けに翻訳してお話すると相当面白いのだということに最近気づきました。
まぁ自己開示をするということはパンツを脱ぐことと一緒なので、人前でパンツを脱げるエガちゃんを心よりリスペクトするこの頃です。