例えばの話です。齢50を越えた大の大人が「俺は明日からロックスターの道を歩む」と言い出せば、さすがの私でも「頭大丈夫か?」と言わざるを得ないのですが、「私は明日から御仏に仕える道を歩みます」と言われると、大変だろうなーと思いながらも背中を押してあげたくなります。
随分前にTV番組で、人生の転機に仏道に入る人を取り上げた番組がありまして、確か自営で電気屋さんをしていて、そこそこの収入と家族がいたのですが、どうしても仏の道を歩みたくて全てを捨てて出家したのです。確か離婚した(された)と思います。
おそらく周りは全て反対だったと思います。しかしながら彼は自己の魂の声に従ったのでした。人が使命感を感じ何かをはじめようと出で立つ時には、愛する者との別離は避けられないものなのでしょう。
思い返せばバビル2世も、魂の声に従って家族を捨て、迎えにきたロプロスに乗ったのでした。。
人が新たに旅立とうとする時に障壁となるのは、家族や恋人ばかりではなく、およそ生活圏の中の人々は”人の変化に対して不寛容です”。これは永遠の真理ともいうべき正鵠を得た内容です。
皆一様に「足元を見ろ!」と忠告してきます。先進的(前衛的な?)な事や長期視点に立ったことを言うと自然と”浮いた状態になる”ので「そんな浮ついたことを言わずに。。。」と諫められます。
特に自分の仕事の環境圏では、齢50を越えた人間が自らの意志で転職や起業をするといったことには殊更、許容できない空気感がありますので、私は絶対に自らの取り組みを打ち明けることは致しません。
加えて新興宗教独特の”抜け忍”は許すまじという空気感があるので、カムイのような手練れではない、落第忍者の自分にも追手が放たれる危険がないわけではありません。(笑)
※(注)現在、私が籍を置いている会社では、そこで給料をもらっている限りにおいて某新興宗教の信者と見なされる。辞めれば関わりからは解放される。
昨年は、リモートワークの恩恵で、実質的に出社したのは2ケ月くらいでした。この時間的自由度の高い千載一遇のチャンスともいうべき時を迎え、転職活動や個人コンサルを受けたりと様々な取組(もがき)を続けてきました。
残念ながら、転職は正攻法では難しいと判断し、今は休止していますが、目の前に立ちはだかる壁に僅かな綻びを見つけたら”牙突”が如くに突きまくりたいと思っています。
昨年一年間受けたグループコンサルの内容を形にすべく、立春を前に新たな取組に向かって行こうと思う、この頃です。